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2019年11月3日

11258:「身の丈」発言を聞いて:「教育格差」の研究者が考えた。

萩生田大臣「身の丈」発言を聞いて:「教育格差」の研究者が考えた。←元記事にリンク

大学入試改革が、格差を拡大する可能性 松岡 亮二

清澤のコメント:身の丈発言のどこに問題があったのか?という記事の抜粋です。松岡氏の著書『教育格差』は、戦後日本社会はいつの時代も、「出身家庭」と「出身地域」という、「生まれ」によって最終学歴が異なる教育格差社会であったという。

―――記事抄出――――

「身の丈」発言と謝罪:費用の異なる民間英語試験を2回の制度設計や、試験会場が満遍なく準備されていない状況が「不公平」を生むという指摘。経済的に恵まれない家庭では試験の受けられる回数も減るだろうし、試験会場から遠方の地域に住む受験生は試験を受けづらい。

拙著『教育格差』(ちくま新書)に様々な視点によるデータ。戦後日本社会はいつの時代も、「出身家庭」と「出身地域」という、「生まれ」によって最終学歴が異なる教育格差社会。

日本の大規模社会調査は、出身家庭の経済状態などに恵まれなかった人、地方や郡部の出身者が低い学歴にとどまる傾向が、どの世代・性別でも確認できる(日本の教育格差は、OECDの報告書で国際比較すると、日本は国際的に凡庸な「教育格差社会」。

出身家庭と出身地域という「生まれ」による教育格差が戦後すべての世代・性別に存在している。しかし、経済的に恵まれない家庭や地方の出身でも、大学に進学し卒業して、親と比べて社会的地位の上昇を果たした知り合いを思い浮かべるのは、難しくはない。

実際のデータで:「父親の学歴」を基準にし、2015年時点の20代男性に絞る。「父親が大卒」の場合、その80%が大卒だった。「父親が大卒でない」場合は、本人が大卒となる割合は35%。格差はあるけれども、社会的上昇例を見つけられないことはない。「出身地域」でも格差は確認できる。大都市圏や大都市部出身だと大卒となる傾向がある。大都市出身だと63%、郡部出身だと39%が大卒。出身家庭の有利・不利を示す「社会経済的地位(SES)」という指標が高いと高学力である。日本は人口規模が大きいので、相対的貧困層出身であっても高学力の子を実際に見つけることは、難しくなない。出身家庭のSESが下位16%の層でも1.2万人は高学力(偏差値60以上)。家庭のSESが下位16%で高学力ではない約18万人を無視し、高学力の1.2万人だけをみれば、「日本は教育格差を乗り越えられる社会だ」と思い込める。

「生まれ」によって「ふつう」が違う:小学校時点で「生まれ」によって緩やかに学校間・地域間で隔離されている。「ふつう」の基準が異なるから、「社会全体の実態」と「個人の見聞に基づく実感」に乖離が存在するのは自然。

社会全体の中での自分を自覚ないと、「生まれ」によって人生の難易度が大きく違うことを想像することすら難しい。データが示すのは全体の「傾向」。「傾向」と一致しない例を探し出すのは難しくない。

大学入試改革と「教育格差」:単純な「傾向」。志・能力・努力は、出身家庭によって大きく異なる。両親が大卒であると、大学進学を具体的に想定し、学力は高く、長時間学習努力をする傾向にある。中学1年生時点で明確に大学進学を期待する生徒は両親大卒だと60%、親のうち1人が大卒だと41%、両親が2人とも非大卒だと23%。この「意欲」格差の背景には、出身家庭による教育経験の蓄積量の差があると考えられる。学力も、小学校入学時点で親の学歴による格差がある。親の学歴によって子育て戦略に差があり、小学校4年生から「学校外学習時間」の格差は拡大する。格差はすべて学校間・地域間でも確認できる。「生まれ」の状況を示す指標SESが高い地域であることを背景に、大学進学を目指すこと、学力が高いこと、学習努力をすることが「規範」となっている学校がある。一方、恵まれない地域では、大学進学を目指す児童の割合が低く、学力も低く、学校外学習の時間まで短いことが「ふつう」である学校がある。

試験制度はシンプルに:大学進学意欲を持つ、一定以上の学力に達する、努力することが「当たり前」になるという受験競争で実質的なスタートラインに立つための条件を誰もが持っているわけではない。小学校や中学校の狭い範囲で「ふつう」なことは、全国区の競争の中での「ふつう」を必ずしも意味しない。「生まれ」が最終学歴に変換される経路は数多くあるので、後はどの程度の家庭・地域の有利さ・不利さを社会として許容できるのか・できないのか、という価値判断の問題になる。

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