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2017年6月10日

8931:從門入者不是家珍

20170610070733◎從門入者不是家珍

門(もん)より入(い)る者(もの)は是(こ)れ家珍(かちん)にあらず

『碧巌録』第五則
巖頭喝云。爾不見道。從門入者不是家珍
巌頭(がんとう)喝(かっ)して云(いわ)く、「爾(なんじ)、道(い)うことを見(み)ずや、門(もん)より入(い)る者(もの)は是(こ)れ家珍(かちん)にあらず」。
  • 『新版 禅学大辞典』には、「真の珍宝は自分の家の中にある。嵓頭に因む語。悟りは本具の佛性を明らめることであって外に向かって求めても得られないの意」とある。【從門入者不是家珍】
  • 入矢義高監修/古賀英彦編著『禅語辞典』には、「外から仕入れたものは本来所蔵している家宝とは違う」とある。【従門入者不是家珍】
  • 柴山全慶編『禅林句集』には、「人から教えられたのでは役に立たぬ。自分で苦修して体得したものこそ貴い」とある。【從門入者不是家珍】
  • 『禅語字彙』には、「人から敎へられたのでは駄目じや。自分で苦心して得たもので無ければ、役にたゝぬぞ」とある。【從門入者不是家珍】

20170527071556

さらにこの全文は 禅宗無門関(無門慧開の自序)にありました。

『豈(あ)に道(い)うことを見ずや、「門より入る者は是れ家珍にあらず、縁に従(よ)って得る者は始終成壊(じょうえ)す」と。(http://one-zen-temple.blogspot.jp/2014/05/mumons-preface.html)この解説がわかりやすいのですが、

『仏たちの説く清浄な心こそを要とし、入るべき門の無いのを法門とするのである。
さて、入るべき門がないとすれば、そこをいかにして透過すべきであるか。
 「門を通って入ってきたようなものは家の宝とはいえないし、縁によって出来たものは始めと終わりがあって、成ったり壊れたりする」というではないか。』というお話のようです。


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