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2017年5月19日

8855:追悼 渡辺春樹先生ご逝去

追悼 渡辺春樹先生ご逝去

「進行性の難病、筋萎縮性側索硬化症(ALS)のため、人工呼吸器を着けて長い闘病生活を送っておられた仙台市の神経眼科医、渡辺春樹先生が一昨日永眠されました。享年84歳。
渡辺先生は仙台市青葉区で渡辺春樹眼科医院と平成眼科病院を経営しておいででしたが、1998年にALSを発病しました。自ら体を動かすことも自力で呼吸することもできない。それからの30年に及ぶ長い期間を今までずっと生き続けられました。
渡辺先生は山形県山辺町出身で東北大医学部を卒業。米軍基地内の病院などでインターンを経験。渡米前には東北大学で桐沢型ブドウ膜炎の第一例の報告者にも名を連ねておいでです。通算12年の海外生活では、米国眼科学会専門医試験に合格し、アラバマ州立大助教授まで務めまられした。
帰国後、76年に仙台市広瀬通りのビルで開業。当時先生が持っておられた米国製の自動屈折計は東北大学にもない当時最新のものでした。しかし、それに頼るわけではなく、我々後輩にはスキアスコピーの重要性をとても熱心に説かれました。日本に眼内レンズが導入され始めたあの時代に、数人の仲の良い医師を糾合して眼科共同病室を建設。これは日本ではほかに例を見ない、アソシエート制の医療法人の先駆けでありました。その病院は、渡辺春樹記念平成眼科病院として、酒井文明先生、岡部仁先生へと血縁関係のない眼科医の間で理事長のバトンが受け継がれています。そして、優れた眼科医療の提供を続けています。
先生は長年東北大学医学部眼科の非常勤講師も兼ねられ、私たち眼科を志す後進の指導にも熱心に取り組まれました。米国の眼科学会にも毎年参加されて、新しい知見を学び続けられ、その知識を惜しむことなく我々にお教えくださいました。仙台市でもいち早く眼内レンズを眼科医療に導入した医師たちの一人でもありました。
_SX258_BO1,204,203,200_先生は病を得てから気管切開で声を失うまでの間に、口述筆記で自叙伝に当たる「蹄跡(ていせき)」を残されています。

(『山形新聞』2003/06/21などから抜粋。)


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