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2017年4月2日

8728:大型スペシャルドラマ『LEADERS Ⅱ』印象記

8728:大型スペシャルドラマ『LEADERS Ⅱ』印象記

無題大型スペシャルドラマ『LEADERS Ⅱ』3月26日(日)よる9時

 日本に自動車工業ができ始めたころ、昭和10年から戦後初期(朝鮮戦争あたり)までのお話。豊田佐吉が豊田自動織機会社を作り、その息子(豊田喜一郎)が自動車つくりに情熱を傾け、また彼を囲む人々が開発だけでなく、販売面でも自動車製造を支えたという歴史を仮名で記載した物語です。ネット配信で見ました。実際に豊田喜一郎はこの物語の初めの部分のように第二高等学校(現東北大学)甲組工科を経て、1920年東京帝国大学工学部機械工学科卒業しています。他人の話としてではなく、自分の祖父母や父母が生きた時代がこんなであったかと思いながら見たら、また変わった様子が見えてきました。

 この物語に登場する(トヨタの)ライバル社の若草自動車というのがどうも日産自動車ではないかと思います。日産は元々は日立系の会社でダットサンという別の商標名をも持っており、ダット社の技術を入れて自動車を製造したと聞くからです。

 関東大震災(1923年・大正12年)に次ぐ世界恐慌(1929年に始まった世界大恐慌)のあと、生糸工場が駄目にになって、その後に太平洋戦争が始まる前の頃に私の祖父源十も自動車に目をつけて、小さな自動車修理工場を作りました。そのとき「信濃日産自動車」(https://www.kiyosawa.or.jp/archives/51590610.html)という称号をつけていますが、実際には日産との資本関係は無かったそうです。取引先は陸軍松本50連隊で、そのトラックの補修を手掛けたようです。源十は町内に綿工場を営む花岡氏と共に、自分の屋敷内にこの工場を立ち上げて、しばらくはその社長をしていました。しかし、その工場の実務を扱う人と揉めて、その事業からは苦しい争いの後で手を引いたようです。日産と記されて色あせた看板が昭和58年頃に火事で焼けるまでその当時の建物の外壁に残っていたのを思い出します。

 戦争に使う航空機などは国際的な品質のゼロ戦などが作られていた戦前の日本ですが、この物語を見ると当時の日本にはまともな国産自動車を作れる技術力はまだなかったようで、殆どがジェネラルモータースとフォード車だったようです。思いついて自動車修理工場を設立するというのも、今から思えば時流を先取りしようという考えだったのかと思いました。

あらすじ:
 1934年(昭和9年)、10年前の関東大震災によって物資輸送網が断絶された苦い経験から、日本の自動車需要は急速に加熱していた。欧州勢に加えて、アメリカのフォード、GMの本格参入によって日本の市場はまさに外国車販売の戦国時代へ突入していた。

 愛知にあるゼネラルモーターズ(GM)車販売店「日の出モータース」の支配人・山崎亘(内野聖陽)はアメリカ流の販売方針を押し付けられることに抵抗し、事あるごとに改善を訴えてきた。だが、大阪に拠点を置く「日本ゼネラルモータース」は、一販売店の意見に耳を傾けることはなかった。

 そんなある日、大阪からの帰りに山崎は、鈴鹿峠の山道で立ち往生しているシボレーを、背広のまま修理する男・愛知佐一郎(佐藤浩市)に出会う。これが「アイチ自動車」販売店第一号となり、佐一郎を支え続けることになる山崎亘と佐一郎の、運命の出会いであった……。

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