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2017年1月14日

8491:干し柿 考

干し柿 考

 年末に実家に帰って干し柿を20個ほどもらってきました。秋に、知人数人に手伝ってもらって庭のカキの木から捥いでもらい、彼らに分けた残り数百個を、母が近所のおばさんとともに皮を剝いて軒先に干したものです。

 飽食の時代で、ありがたみも感じぬので、東京に送るのは遠慮するとしていたのですが、今回の帰省からの帰りに綺麗な巾着型の袋に入れて母が持たせてくれました。「最近は送ってやろうと思っても、喜んで貰ってくれる人は少なくなった。」というのが母のささやかな嘆きです。

 院長室において、終業後などに一つつまんでは食べたり、医院への来客にお勧めしているうち、昨日までに漸く20個ほどがなくなりました。思ったほど不味いものではなかったというのが今回の実感です。年齢とともに、味覚も変わってきたのかもしれません・

 干し柿といっても、市内には一つ一つがとても大きくて、桐の箱に入った高い贈答品もあります。駅前の果物店では10個260円なんて安いものもあります。意外にもビタミンCは干す過程で失われ、目に良いカロチンと植物繊維が豊富なのだそうです。家のカキは渋柿ではなくて甘柿なので、干し柿にはなりますが、甘みは薄いのかもしれません。

 処刑直前の石田三成が刑吏の差し出した柿を腹をこわすからと謝絶したという話がありますが、便通を良くするともいわれています。

 産地としては市田柿というのが有名で、これは長野県といっても松本付近ではなく飯田市の近くのようです。ですから、飯田市の義母も同様に干し柿を作っている模様です。

 戦争の頃から、私の祖父と父は庭や畑に様々な果樹を植えました。それで、庭としては台無しになってしまいましたが、私が育つ昭和30年ころまでには、季節ごとに様々な果物が次々に実る庭となっていました。

 思いつくままに松本で過ごした40年前の庭を思い出してみましょう。

 杏:まず夏の初めに毎日熟れた実を落とすのが杏。採るために木から落としても良いのですが、朝に落ちたものを集めて生食するか、あるいはジャムにします。父がいた頃は作っていましたが、近年はもう作らぬ様です。

 梅:これも直径30センチもある大木で、毎年実をつけ、ずっと実を付け続けてくれるるのかと思っていましたが、20年ほど前に毛虫が大発生し樹勢が衰えて枯れてしまいました。実っていたころにはその実を採って、甘い焼酎漬けにしていました。来客へのお茶受けはもっぱら梅の焼酎漬けが供されて好評でした。このほか、梅漬けにしたり梅干しにしたりもしていたようです。梅のジャムも杏ほどは甘くなく、父は兄弟姉妹に毎年送って、好評でした。

 ハダンキョウ:プラムのような果樹で、生でその実を食べると甘くておいしいのですが、毛虫が付き、実にも虫が多く入ります。実際に食べられる実はいくつも残りません。

 ポーポー:季節はいつごろか?ポーポーという、ちょっとバナナのような食感で、大きな葉のある樹があります。不思議にも虫はつかず、毎年甘い実をつけていました。保存性が悪く、市場にはあまり出ないようですが、庭の果物としてはおいしいものです。

 ブドウ。庭にはブドウの棚があって、白ブドウ(ナイアガラ)と千曲デラウエアの2品種が実を付けていましたが、これも髄虫が出て樹を痛めます。先が茶色に枯れた枝を見つけてこまめに虫を掘り出してやらないと樹勢が衰えます。その季節には6人(祖母、父、母、私、妹、弟)の家族でも食べきれないほど実っていました。

 ブルーベリーとスグリ:どちらも灌木で直径1センチ程度の実をどっさりと付けます。甘いわけではないので、腹いっぱい食べることはありません。

 甘いといえばイチイ:松のような葉の針葉樹に直径4ミリくらいの赤い水分に富んだ実を付けます。学校の帰りに洗いもしないでその赤い実を口に入れると白い種が口に残り、そのお甘さが口に広がりました。

 いちご:今も正月の寒い庭にイチゴの苗が一部分に植えられています。これから白い花が咲き、緑から白、そして赤く色づいてゆきます。赤くなるのを狙って取ってはそのまま口に運びます。ほかの果物ほどの量は取れないので、兄弟の間では早い者勝ちです。

 果物ではないですが、トマト。一列の畝にトマトとミニトマトを植えると、毎日食べきれぬ数のトマトが夏の長期間にわたって実ります。路地のトマトは、市販のものと違う青臭い香りがあります。

 40年前の思い出を片端から書き出してみました。母が、リクエストに応えて家に残った干し柿をまた送ってくれることでしょう。

 

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