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2016年10月11日

8216: Tohoku Journal of Experimental Medicine「創刊から現在まで」という記事紹介

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 本日は楽しみにしていた論文(⇒リンク)がいよいよネット上に公表されたので、その雑誌のお話をしましょう。

 医師は自分の思いついたことや見つけたことを世界中のみんなに知ってほしいと思っています。それを聞いてもらうのが学会であり、そして論文の発表なのですが、それには大変な手間と時間がかかります。

 しかも、研究の世界である研究者が思いつくようなことは、複数の研究者が世界中でほぼ同時に思いつくでしょう。そこでぐずぐずしていれば思わず出し抜かれることも起こり得るのです。そこで、投稿から審査までの期間が短い雑誌が求められています。例えばプロス・ワンという米国の雑誌は世界的に有名で、その代表的なものです。

 私が卒業した東北大学には、TJEM(日本語に訳せば、東北実験学雑誌)という英文の医学雑誌があって、私も時々その雑誌のお世話になって来ました。今日その雑誌のホームページを見たら「創刊から現在まで」という記事が出ていますので少しその話を紹介します。

 この雑誌の創刊は1920年。3つの編集方針があって、①投稿論文を大学の中だけではなく、広く国の内外に求めた。②寄贈はしない。③定期的かつ永続的な刊行に努めること。関東大震災で印刷できなかった時に印刷を頼んだというウイスター研究所は、私の留学したペンシルバニア大学の一部で、そんなご縁も感じます。

 興味のある方は続きの本文を読んでみてください。そして、学位審査などで印刷を急ぐ必要があるような時には思い出してみてください。出版されたすべての論文は無料でネットからダウンロードが可能です。しかもHTML版なら引用論文は、ネットで原論文までリンク付きです。

 ただし、現在この雑誌の査読平均日数は15日、採択からパブリッシュまでは20日。採択率は18%。海外からの投稿はほぼ80%に及び、インパクトファクターも1,287ということですから、決して簡単に採択される雑誌ではありません。

 最後にこの雑誌の刊行に御尽力くされている編集部の方々に感謝申し上げます。

 Cerebral Functional Response during Eyelid Opening/Closing with Bell’s Phenomenon and Volitional Vertical Eye Movements in Humans.
Yukihisa Suzuki, Motohiro Kiyosawa, Kiichi Ishiwata, Keiichi Oda, Kenji Ishii
The Tohoku Journal of Experimental Medicine Vol. 240 (2016) No. 2 October p. 141-146 Published online October 08, 2016
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◎TJEMの迅速な論文審査

三須建郎・東北大学医学部助教が、症状の似た二つの疾患が実はまったく違うものだということを突き止めたのは、2006年のことでした。
100年以上も論争が続いてきたこの問題に、終止符を打つ可能性が高い論文の発表の場として、三須助教が恩師だと慕う糸山泰人教授から勧められたのは柴原教授が編集長を務めるTJEMだったといいます。

「当時、TJEMのことは正直に言うとよく知らなかったのです。初めはネイチャーなど海外の有力誌に投稿したいと先生に相談した記憶があります」
そう回想する三須助教ですが、この研究にはライバルが多く、世界で最初に論文を出すことが最優先課題でした。

「糸山先生はまっさきにTJEMを思い浮かべたそうです。ネイチャーにこだわって先陣を取られたらどうする、この内容で勝負をするのだと言われました。とにかく早く世に出さなければという一心でした」

三須助教がTJEMの投稿規定を読んだのは4月末。その年の5月に東京で開かれた日本神経学会総会では、核心的な写真は伏せてこの研究について発表し、学会期間中はほとんど論文の準備に費やしました。そして学会開会中の5月12日(金)の夜遅くにTJEMにオンライン投稿をしたのだそうです。

「驚いたことに、翌日には柴原先生から査読者のコメントも含めたお返事をいただき、その日の午後に仙台に帰って修正をし、再度チェックを受けました。そして、先生から指摘をいただいた図の体裁や英語表現等を直し、さらに直接お会いして論文体裁などをチェックしていただき、三日後の15日には採択されるという、いま思い返しても信じ難い展開で採択いただき本当に感謝しています」

通常であれば投稿から掲載まで数か月かかるのが当たり前だと言われる世界で、驚異的なスピードで掲載に至ったTJEMとはどんな雑誌なのでしょうか。

TJEM創刊の経緯と編集方針

40年近く伸ばしているという見事な髭が印象的な柴原編集長に、TJEMの設立の経緯を聞きました。

1907年6月に東北帝国大学が三番目の帝国大学として仙台に設置され、その8年後、東北帝国大学医科大学が開設されました(その前身は、1872年開設)。TJEMは1920年に、医科大学に招聘された3名の教授が創刊したもので、日本で最古の定期的に刊行される英文総合医学雑誌です。当初の使用言語は英語、ドイツ語、フランス語で、もちろん日本語はありませんでした。1956年以降、英語のみとなり現在に至っています。

その3人とは加藤豊治郎かとうとよじろう(東京帝大卒、内科学)、佐武安太郎さたけやすたろう(京都帝大卒、生理学)、藤田敏彦ふじたとしひこ(東京帝大卒、生理学)の各教授でした。佐武教授は後に東北大学総長を務めます。

彼らは3つの編集方針を掲げました。一つ目は投稿論文を大学の中だけではなく、広く国の内外に求めたこと。次に丸善で販売することとし、他の大学や研究機関との交換雑誌として活用はするが、寄贈はしないとしたこと。そして、定期的かつ永続的な刊行に努めること。この先駆的な編集方針がTJEMを支えてきました。事実、TJEMは世界各国の主要な大学・研究機関の図書館に所蔵されています。

歴史的に重要な論文も数多く掲載されてきたそうですね。

1920年代初頭、インスリンの発見者として歴史に名を遺したのはトロント大学の教授ですが、同時期に東北帝大の熊谷岱蔵くまがいたいぞう先生も制御分子(後のインスリン)の存在を報告していました。また、1954年の東北大学小児科の東 音高(ひがし おとたか)先生の論文は新たな疾患概念確立の端緒となり、Chediak-Higashi症候群として知られています。病名に日本人の東先生の名がついている数少ない例のひとつです(Tohoku J. Exp. Med. Vol.59 (1954), No.3 p.315-332)。そのほかにも数多くの重要な論文が掲載されています。

困難な状況を乗り越えて

創刊から90余年の間にはさまざまなことが起こりました。1923年、関東大震災で東京の印刷所が被災したときは、米国ペンシルバニア大学から東北帝大理学部に赴任していた畑井新喜司(はたいしんきし)教授の紹介により、米国のウィスター研究所(フィラデルフィア)で印刷されました。第二次大戦のさなかでも刊行は続けられ、終戦の翌年こそ休刊したものの、戦後の混乱期には本川弘一もとかわこういち教授を中心に編集者たちがリュックを背負い用紙の確保に奔走したそうです。本川教授も後に東北大学総長を務めました。
1960年4月以降、仙台の笹氣出版印刷株式会社で印刷をすることになり、現在まで続いています。こうした流れを経て、戦後の急速な経済発展に伴い、TJEMは転機を迎えます。

1980年に編集長となった平 則夫(たいら のりお)先生は、これまで学内の関連組織として刊行を続けてきたTJEMの新たな発行母体として「東北ジャーナル刊行会(Tohoku University Medical Press)」を設立しました。東北大学医学部から独立した組織とし、広く全国から一流の研究者に編集委員としての参加をお願いしました。また、独立組織としたことで、外部資金の獲得も可能となり、文部省(当時)からの刊行助成を受けることができるようになりました。

時代が大きく移り変わる中で、前任の編集長である佐藤 洋(さとう ひろし)先生は冊子をA4へサイズ変更し、海外編集委員の登用、ホームページの立ち上げなど、TJEMの国際化に尽力されました。

こうした歴代編集長の活躍により、TJEMは刊行を続けてくることができたのです。2003年に私が編集長を引き継いでからは、さらなる国際化を推進し、2004年には、独立行政法人科学技術振興機構の支援により、オープンアクセス化(科学技術情報発信・流通総合システム,J-STAGSE)、すなわち全論文無料公開を実現しました。

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