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2016年9月25日

8163: 禁じられた避難 青森市 NHKアーカイブス を見ました。

8163: 禁じられた避難 青森市 NHKアーカイブス を見ました。

20160728-0000
[証言記録 市民たちの戦争]禁じられた避難 ~青森市~ ふと開いたNHKアーカイブスでこの番組を見ました。

清澤のコメント:
1945年7月28日午後10時37分、62機のB29爆撃機が青森市上空に姿を現し、8万発を超える大量の焼夷弾を投下、市街地の9割が焼け1000人を超す死者が出たとされている。
中で特に印象に残ったのは、黄燐を使った焼夷弾M74の説明(M74六角焼夷弾38本を束ねた「E48集束焼夷弾」)で、黄燐は空気に触れると自然に発火し、水をかけても散乱するだけ。しかも水でいったん消火してもまた空気に触れれば再度自然発火したのだそうです。

このような経験者の声を聴くこともますます少なくなるのでしょう。

[1]禁じられた避難 02:46:消防要員を確保しようと、家を空けて郊外に逃げた人は食糧配給を止めるという「防空法」に基づく措置が発令された。

[2]チャプター2 実感が伴わないまま空襲に備える青森市民 05:23

[3]チャプター3 初空襲に避難をはじめる青森市民 05:27:はじめは艦載機による機銃掃射が青森市に行われた。その後、子供を非難させようなどと市民が郊外に移動しようとした。

[4]チャプター4 配給と引き換えに避難を禁じる青森市 05:48:それでは町を戦災から守ることができないからと、青森市は食糧の配給を受ける権利を市内居住者に限ることを広報した。

[5]チャプター5 アメリカ軍による空襲予告 05:07:空襲が予告された都市の中には青森市も含まれていたが、空襲をあらかじめ教えるという意図よりはプロパガンダが目的であったようだ。その意図が米軍資料に残っている。

[6]チャプター6 新型焼夷弾による空襲に無力な市民 06:33:黄燐焼夷弾は水では消化できない。まして発火点が多数あればそれを人手で消すことも不可能。

[7]チャプター7 多くの犠牲者を出した空襲後の青森市街 04:57:数本の防火帯もむなしく1000人以上の死者が出た。それは、終戦まで1月を残さぬ、ある夜のことだった。

青森市の夏を彩るねぶた祭り。今から64年前の昭和20年、この華やかな通りが、アメリカ軍の空襲により炎に包まれた。

青森の市街地の9割が消失。犠牲者は1018人に上った。多くの犠牲者を出した背景にあったのは、空襲におびえる市民たちの避難を禁じ、消火活動に当たらせたことであった。

青森市は、避難した市民たちに帰宅を呼びかけた。避難していた市民の多くが、街に戻り、犠牲になった。なぜ、避難は禁じられ、多くの命が失われたのか、市民たちの証言でつづる。

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