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2016年9月14日

8127:「人道主義」が招いた混乱、出口なきドイツ難民問題:記事要点紹介

「人道主義」が招いた混乱、出口なきドイツ難民問題

作家、拓殖大学日本文化研究所客員教授 川口マーン惠美:の記事紹介です。

清澤のコメント:日本政府はずっと執拗に外国人難民の入国を拒んできました。ふと、そこまで制限しなくてもと思ってしまった私でした。しかし、現在のドイツのあり様をこの様に伝えられると、外国人を身内に入れるのは非常に難しいのだと感じました。産業界の思惑と彼女の名声への欲望、それにマスコミの「人道」という言葉での反論封殺。それらが合わさって、ドイツを不信と非難の嵐に追い込んでいるそうです。米国でもクリントン氏の健康不安がささやかれています。米国でもポピュリズムが大統領を決めるかもしれません。

  --記事の要点を抄出します--
2016年09月14日 05時20分
 中東などから押し寄せてくる難民の波に翻弄されるヨーロッパの国々。難民受け入れの旗振り役であるドイツで、その流れに反対する声が大きくなり、混乱に拍車をかけている。一体どうしてこんなことになってしまったのか。

◎メルケル首相のお膝元で厳しい審判

 9月4日に旧東独の小さな州の議会選挙で、メルケル首相のキリスト教民主同盟(CDU)が大敗北を喫した。この州はメルケル首相の選挙区。

 敗北の原因は、メルケル首相が推し進めてきた「寛容な」難民受け入れ政策に対する反発。2015年9月4日ブダペスト駅での難民の惨状を見てメルケル首相が、ハンガリーにいる難民の例外的に受入れを宣言した。こうしてドイツによる前代未聞の難民受け入れが始まった。

◎プラカードを手に難民を歓迎
 それまでの難民は、アフリカ大陸からボロ船で地中海を渡り、イタリアやギリシャにたどり着くのがほとんどだった。メルケル首相の一言に勇気付けられ、シリア、イラク、アフガニスタンなどの祖国を捨て、バルカン半島を北上してくる難民が急増した。それに便乗して、アルバニアやコソボやセルビアからも経済的な理由でドイツを目指す人たちが続々とやってきた。

 当時も、「難民を無制限に入れるのはよくない。」という意見はあった。が、それらの意見はいずれも、非人道的、反民主主義的であると退けられた。

◎懸念の声を一蹴したメルケル首相
 そのうちハンガリーのオルバン首相が、自国を通過していく難民のあまりの数に恐れをなして国境を閉じると、ドイツのメディアはそれを非難した。 そのかたわらで、難民の受け入れを義務付けられたドイツ国内の州や自治体は困窮していた。全てが至難の業だった。こうして、2015年、隣人愛にあふれたドイツに、計110万人の難民が入った。

 この「難民ようこそ政策」の背景には、人道以外にどのような動機があったのか。四苦八苦する自治体をよそに、住宅建設など難民ケアに繋がる業種は特需景気に沸いた。政府は「良い技術者の確保」、「少子化対策」などを挙げて、難民は“ドイツのチャンス”と宣伝した。しかし実際には、「良い技術者」よりも、「安い労働力」を期待する産業界がメルケル首相の背中を押して、メルケルの声望への野心も働いていた。

◎ビジネスと化した難民問題
 難民をEUに運ぶのは、国際的な犯罪組織。中東難民の中継地はトルコ。そこから、「運び屋」がぼったくり値段で難民をボートに乗せてギリシャの島に出す。そこにから難民はフェリーでギリシャ本土へ渡り、その後も、「運び屋」の誘導により、車や徒歩でバルカン半島を北上する。難民ビジネスは、麻薬よりも、人身売買よりもはるかに儲かる一大産業。真の貧しい難民は出国もできない。

◎メルケル首相の軌道修正、他国はそっぽ
 メルケル首相も、EU諸国に向かい、ギリシャにたまっている難民を皆で手分けして受け入れようと呼びかけた。しかし、南欧諸国は体良く無視し、東欧の国々は、「ドイツが好きで入れた難民だ。自分たちで対処しろ」と不快感を隠そうともしなかった。そうするうちに、11月パリで無差別同時テロが起こった。犯人は、難民としてEUに入っていた男たちだった。ドイツの難民フィーバーは、その年の12月31日、一瞬で冷めることになる。ケルンの中央駅前広場で集団女性暴行事件が起こったからである。

◎分水嶺となったケルンの集団暴行事件
 ヨーロッパの大みそかは、大勢が戸外に繰り出し、深夜、カウントダウンで新年を祝う。しかしこの日のケルンでは、その平和な祭りの場が、すでに夜10時頃より不穏だった。何千人もの「中東や北アフリカ風の男性」が、広場を埋め尽くしていた。そして、そんなことを知らずにやってきた女性たちが、あっという間に包囲された。
 被害者の証言によれば、徒党を組んだ何十人もの男性が、身動きの取れなくなった女性たちに、執拗な性的暴行を加え、ついでにスマホや財布まで盗んだ。被害届は700件を超えた。
 ただ、国民が本当に怒ったのは、このニュースがようやく1月4日に報道されたからだ。なぜ4日もかかったのか。しかも、その報道でさえ、当初は、容疑者の多くが難民申請中の男性であることが伏せられたままだった。多くのドイツ人は、当局にもメディアにも、そして難民にも裏切られた。これが、ドイツにおける難民論議の分水嶺となった。

◎「解決策」第2弾を打ち出したが……
 困ったメルケル首相は、「解決策」の第2弾を打ち出した。すでにトルコまできて、ドイツに渡るスキをうかがっている250万人もの難民を、そのままトルコに留め置いてもらおうという作戦。
 多くの人は反発した。難民の運命をトルコに委ねるやり方は、お金の力で臭いものにフタをするようにしか見えない。それでもメルケル首相は強引にEUを説得し、3月、EUとトルコの間でこの取引を成立させた。国内ではメルケル氏の人気は急降下した。
 そのころドイツの隣では、やはり増え続ける難民にしびれを切らしたオーストリアが、スロベニア、マケドニアなど、難民の通り道になっている国々を支援して国境を閉じさせ、バルカンルートを遮断するという実力行使に出た。EUの肝は国境の廃止であるから、これはすでにEU解体への第一歩とも言える。しかもこのころ、難民受け入れに上限を作らないと言いながら、実はドイツ国境もすでに厳戒状態だった。

◎EU内で深まるドイツの孤立
 バルカンルートが閉鎖されたあと、どうにかしてEUに入りたい難民は、再び危険な地中海ルートに回帰した。8月30日には、たった1日だけで、ボロ船で地中海を漂っていた難民が計7000人も救助された。
 難民問題は一切解決していない。解決のメドさえ立たない。EUと外の世界を隔てる「壁」の外にいる人たちは、壁の向こうに楽園があると信じている。だから、どんな危険を冒しても越えようとする。
 メルケル首相は、昨年夏に「難民を受け入れる」と言って、その壁に外から来た人を招き入れる「ドア」を作った。しかし、それは実質的には半年余りしか続かず、再びドアは閉じられた。結果としてドイツはEUで孤立し、しかもEUがバラバラになりかけている。6月にEU離脱(Brexit)を決めたイギリス人も、ドイツに入った難民がいつかドイツの国籍を得て、EU市民としてイギリスに移住してくることを恐れていたとも言われている。いずれにしても、メルケル首相の「人道主義」はあまりにも弊害が多かったと、ドイツ人は気付き始めている。

◎ゆらぐメルケル政権の足元
 一方、メルケル首相の失策で漁夫の利を占めたのが、13年生まれの新党、「ドイツのための選択肢」(AfD)だ。メディアが「右派ポピュリスト」と呼んで毛嫌いするこの党は、現在、各地の州議会で急激に議席数を伸ばしつつある。
 旧東独のメクレンブルク・フォアポンメルン州は9月4日の州議会選挙は、来年の総選挙の試金石として注目された。結果はAfDの一人勝ちだった。今月18日には、ベルリン市議会(州議会扱い)の選挙も控えている。このままではまた大敗してしまう。混乱は避けられそうにない。
 それにしても、ドイツの政治をここまで見通せなくしてしまったメルケル首相の責任は誠に大きい。

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