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2016年8月21日

8060:豫園(よえん)

豫園(よえん)出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

5785a013269e34b5e9e0e0b149685300清澤のコメント:豫園は川の西岸で共同租界が有ったバンドの南にあります。
 小籠包の本家を名乗る南翔饅頭店は九曲橋を見下ろす建物の3階にあり、小籠包を作る台所も硝子越しに写真が撮れます。奥には普通よりも値段の高い部屋が有って、汪さんが交渉してそこに席を取ってくれ、本場の小籠包をおなか一杯ごちそうになりました。

 このあたりの建物の屋根は角が吊り上がった独特な形をしています。瓦も小さなものが重ねられていて、日本の瓦よりも一枚づつが小さい印象でした。

豫園(よえん)は中華人民共和国上海市黄浦区安仁街に位置する明代の庭園。

「豫」は愉を示し、すなわち「楽しい園」という意。面積は約2万m²。もとは四川布政使(四川省長にあたる)の役人であった潘允端が、刑部尚書だった父の潘恩のために贈った庭園で、1559年(嘉靖38年)から1577年(万暦5年)の18年の歳月を費やし造営された。完成した時には父は没していたといわれる。清代初頭、潘氏が衰えると荒廃するが、1760年(乾隆25年)、上海の有力者たちにより再建され、豫園は南に隣接する上海城隍廟の廟園となり「西園」と改称された。当時は現在の2倍の広さがあった。

 1853年(咸豊3年)園内の点春楼に小刀会(注)の司令部が置かれた。1956年、西園の約半分を庭園として改修整備し現在の豫園となる。残りの部分が豫園商城となる。1961年に一般開放され、1982年は国務院により全国重点文物保護単位となる。

 装飾や様式は伝統的(中華-上海的)でありつつ、周辺は中華的な高層建築物が並んでおり、観光地として豫園商城と呼ばれている。お土産物店や飲食店が軒を連ね、小籠包の本家を名乗る南翔饅頭店などがある。

豫園商城
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福佑路より豫園商城入口

注)小刀会とは:
小刀会は清代の秘密結社である。最も早い記述は1742年に見られる。主に江蘇省・安徽省・福建省・台湾で活動を行った。最初は互助的なもので反清復明とは無関係だったが、1850年に陳慶真が廈門で天地会の分枝としての小刀会を成立させ、それが上海の農民・遊民・手工業者・商人に広まっていった。

上海小刀会蜂起:1853年9月、上海でも小刀会は蜂起した。広東省香山出身の劉麗川、上海青浦出身の周立春・周秀英、福建省出身の李咸池・陳阿林、上海出身の潘起亮などが指導者であり、蜂起部隊は広東人が半数を占めていた。小刀会は上海知県袁祖徳を殺害し、上海道台・税関監督の呉健彰を捕え(後に呉はアメリカの南部バプテスト連盟宣教師イェーツの援助で脱出した)、周辺の嘉定・青浦を占領し、豫園に司令部を置いた。小刀会は「大明国」を建立して、劉麗川は「大明国統理政教招討大元帥」を自任したが、やがて後に「太平天国」と改め洪秀全との連携を模索した。

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