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2016年8月15日

8045 上海に行ってきました。その1

この週末は上海に行ってきました。
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川を挟んだ東側に左手に見えるテレビ塔で代表される新しいビル街ができています。川沿いの建物の上層階にしつらえられたホテル付属のレストランに座ると、目の前の川を上下する船がひっきりなしに過ぎてゆきます。夕方のうちは土砂を運ぶような船や貨物船が、夜に入ると観光船が向こう岸の石造りの街を背景に上下してゆくのが見えます。

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イギリス租界があった場所がその対岸の外灘(ワイタン、拼音: Wàitān、がいたん)あるいはバンド(英語名:Band)です。レストランから見れば、石造りの8階建てくらいの歴史的な建物が川沿いに並んでいます。時計台がついていたり、尖塔になっていたりそれぞれの形には特徴があり、建物には文化財としての番号が付けられていました。

2日目に自分の発表の終わった後で連れて回ってもらい、行ってみましたが、18号館の中にはロブションのお茶のサロンがあり、昼過ぎの時間帯にはセンスの良い服装に着飾ったお金持ちらしい中国人の娘さんたちが数人ずつのグループで来て談笑していました。

新世界北里の噴水広場

これに対してフランス租界があった場所は新天地と呼ばれる辺りです、古い外国人用のアパートを改造して、今では日本の青山あたりを思わせるしゃれた界隈になっていました。この噴水広場の3人の像はいかにも西欧風な像ですが、幸福をもたらす中国の福禄寿の三神だということです。(新天地“福、禄、寿”喷泉揭幕)

その一角は中国共産党の第一回大会が開かれた場所ということで、今は博物館になっています。入場料は無料ですが、入り口で指紋を取られました。実際には10人ほどの代表が船に乗ってその中で会議を行ったという事で、その状況も展示されていました。
第一回共産党会議が開かれた記念館
その一部ではちょうど魯迅をテーマにした展覧会が開かれていました。仙台医専の解剖学教授で、1904年ころ魯迅を励ましたことで後に世に知られることになった藤野厳九郎教授の写真も展示されていました。
wikipediaを見ると、『1915年、仙台医専は東北帝国大学医学部に改組された。帝国大学の教員には帝大卒の資格が必要であったため、医学校(のちの名古屋大学)卒の藤野は資格を満たせず、退官して郷里の福井県に戻って、三国町で開業医となった。』とされていました。図らずも藤野厳九郎教授が若くして退官した状況もわかりました。東北大の眼科の歴史でも、確か帝国大学になったときに教授が交代していました。その様なことが有ったのかもしれません。

 帰りは日曜8時の飛行機。朝早くにホテルを引き払うことになりましたが、昼には羽田空港に着地することが出来、3日の旅を無事に終了することが出来ました。

中国経済の現況としては、昨年来株価は下がり、戻り切れず。また日本から輸出された工業製品の在庫も増えていて、景気の先行きはそんなには良くもなさそうです。しかし、今も30階を越える高層建築の建設は続いています。中国では土地を個人が買うことはできません。そこで、人々は売り出されるマンションを購入することになるのですが、この10年ほどで上海のマンション価格は3倍ほどにもなっているという事でした。まだまだ大都市の不動産バブルは衰えてはいないという事でした。

無事に帰国できましたが、予備日として私は明日までお休みをいただいています。火曜から診療に戻りますので、明日はいつも2番診察台に入ってくださる先生による診察という事になります。よろしくお願いいたします。

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