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2016年7月2日

7914:ライアーズ・ポーカーを読んでいます。

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前口上
「ぼくは、ウォール街とロンドンで、債券セールスマンという仕事をしていた。ソロモン・ブラザーズのトレーダーたちと机を並べて働いたおかげで、時代をかき回したひとつの大きな渦の中にいられたのではないかと、自分では思っている。トレーダーというのは、手っとり早い大儲けの名人であり、ここ十数年間、大儲けは手っとり早くやるものと相場が決まっていた。そして、ソロモン・ブラザーズといえば、誰もが認める債券取引の帝王だ。ソロモンのトレーディング・フロアに籍を置きながら、ぼくがこんな本を書き始めたのは、のちのち語り草になりそうな数々の事件や動静を詳しく記録し、解説するためだった」。

1、うそつきポーカー:ソロモンブラザースが凋落期に入った最初の年、1996年、会長ジョン・グッドフレンドは、凄腕トレーダーと1000万ドルという巨額の賭けをしていた。

2、カネのことは言うな:1984年ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの美術史修士課程を終えようとしていた著者がソロモン・ブラザース社に入社する僥倖を皇太后陛下の晩餐会で得た経緯。

3、社風を愛すことを学ぶ:ウォール街のソロモンブラザース本社での研修授業「トレーディングフロアはジャングルだ。」生真面目な前列グループと大騒ぎの後列グループ。ハーバードはほとんどが前列グループ、一部が後列グループ。その周りをイェール、スタンフォード、ペン(ペンシルバニア大)などの卒業生がいる。例外の中でも極め付きは日本から来た研修生。(67p)6人いる全員が英語がわからず、前列に座って居眠りをする。当時の日本人は保護された種族、それはソロモンが東京支社を拡張しようとしていたから。

4、成人教育:研修4週目、8週目

5、ならず者たちの兄弟愛:1985年1月、研修を終わったマーティー・オリバーは念願のモルゲージ債部門にいた。が、食堂で先輩達分の為にチーズバーガーを盗み、それを吹聴したので、からかわれ、とがめられた。

1978から1981年:モーゲージ・ローンを扱う部門設立の経緯。ルーウィー・ラニエーリの活躍と前任者ロバート・ドールの失脚。数々の凄腕ディーラーの逸話。

6、肥満軍団と打ち出の小槌:1981から1986:ラニエーリ率いるモルゲージ債部門はS&Lを救う法改正に乗りソロモンを隆盛に導くが、その要員は次々に会社を去っていった。

7、ソロモン式ダイエット:1986から1988:それに代わる優秀な人材は入社したが会社は更に変わった。1986年はソロモンにとってパッとしないとし、87年には業績がさらに悪化した。

8、下等動物から人間への道:「当時の急速な拡張の拠点として、まず候補に挙がるのが東京。黒字貿易のおかげで、売るか投資するかしかないドルがあふれかえっていた。日本は1980年代のアラブだ。」そこで得られた優れた先輩がダッシュ・リブロックとアレキサンダー。
9、戦術:アレキサンダーとドイツ国債を組み入れた新しい仕組みの債券を考案したが、その手柄は横取りされた。その仕返しもした。市場の力と救いがたい管理の甘さのせいで、ソロモンブラザースは大変な窮地に追い込まれていた。

10:社員をもっと満足させるには:パターンが崩れたのは87年9月24日。ドレクセルのマイケル・ミルケンがペレルマンをそそのかしてソロモンブラザース社の乗っ取りを図り、成功した。

11、富豪たちの一大事:1987年10月12日:ニューヨークタイムズにソロモンブラザースが1000人の辞任整理をするとの記事が出た。10月16日(金曜日)大ハリケーンがロンドンを直撃。その中を出勤した多くの社員が解雇を告げられた。(ブラックマンデー:1987年10月19日に起こった、史上最大規模の世界的株価大暴落。)10月20日、ニューヨークの研修プログラムで新人を相手に講演。

エピローグ:1988年初めソロモンブラザースを退社。文筆業に転じた。

「忠誠心が欲しかったら、コッカスパニエルでも雇うんだな」。

 原著は1989年、

清澤のコメント:自分(清澤)の大学卒業が1978年、その後の研修医、大学院、そして留学時代(1986-88年)の各時期を別の面から眺める思いで懐かしくあの時代を回想できました。

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