お問い合わせ

03-5677-3930初診受付

ブログ

2016年5月22日

7778:『関白秀次の切腹』(矢部健太郎著)の紹介記事

images2WXJ8NCS
新説!豊臣家を滅ぼした「組織運営」の大失敗
「秀次切腹事件」がターニングポイントだった: というダイヤモンドの記事紹介です。極力短く抄出してみます。
矢部 健太郎 :國學院大學教授 2016年05月22日

『関白秀次の切腹』を著した矢部氏が、通説とは異なる事実とともに、人材マネジメントの重要性を説く。
無題
◎秀次の切腹は「想定外」だった!

「豊臣秀次切腹事件」とは、文禄4年(1595)7月15日、高野山で起きた豊臣秀次の切腹とその妻子の集団処刑に至る騒動。秀吉の甥・秀次は、豊臣政権の2代目であるが、息子・秀頼を後継者にしたい秀吉によって、高野山へ追放、切腹を命じられたというのが通説。し
かし、「秀吉に秀次を追放・切腹させる意図はなかった」という。

①秀吉は秀次に召使いや料理人、番人をつけている
②切腹を命じる一次史料が残されていない
③秀次への切腹命令を高野山に届けられない
④切腹は必ずしも罪人が行うものではない

秀次出奔から切腹までを見直すと、秀次の高野山への入山は秀吉の命令による「追放」ではなく「出奔」であり、切腹も自らの決意によるものと考えられる。秀次の一連の行動は、秀吉にとって想定外の出来事だった。

◎「一族経営」豊臣政権の命綱
豊臣家を担う成人男子は秀次しかいなかった。秀吉は、関白を秀次に譲ることで、豊臣政権の正当性を担保しようとした。その秀吉が、関白・秀次を殺したとなれば、究極の「自己否定」。

◎上司・秀吉による部下・秀次のマネジメント失敗『関白秀次の切腹』(矢部健太郎著、KADOKAWA)

謀反の疑いをかけられた秀次は自ら高野山へ出奔して謹慎し、身の潔白を証明するために覚悟の切腹を遂げた。秀吉も、一族の「部下」には目が行き届かなかったのだろうか。マネジメント失敗が、悲劇を招き、豊臣政権の屋台骨を揺るがした。豊臣政権は、秀次は切腹に値する人物であったと喧伝し、秀次の妻子全員の処刑という結末で幕を降ろす。

秀次を失った豊臣家は、慶長3年(1598)秀吉の死、慶長5年の関ヶ原合戦、慶長8年の徳川幕府成立を経て、慶長20年(元和元年・1615)に滅亡。秀次切腹から、20年。

上司・秀吉による部下・秀次のマネジメント失敗は、豊臣政権という組織に最悪の結果をもたらした。
ーーーーー
清澤のコメント:注目のNHK真田丸では、『関白秀次の切腹』はどう描かれるのでしょうか?子供可愛さの業とするか、秀吉も加齢で頑固になったとするのでしょうか。

Categorised in: 未分類