お問い合わせ

03-5677-3930初診受付

ブログ

2016年4月8日

7631;小柳美三先生の墓はなくなっていました。(修正記事)

number4小柳美三先生の墓はなくなっていた。

始めにお詫びと訂正:小柳先生の墓標は間違いなく存在しているという連絡を仙台市在住の今井克彦先生から、先週写真付きでいただきました。次回仙台に伺うときにお参りしてきたいと存じます:

フォークト・小柳・原田病で知られる小柳美三先生の墓は嘗ては仙台市八幡4丁目で仙台第一中学校の北隣にある龍宝寺墓地の入り口近くにありました。この地域の墓地には少なくはない自然石で高さは50センチ、幅が35センチ、厚さは30センチくらいで卵型。「小柳美三の墓」と書かれた墓標でした。私が眼科に入局した昭和53年当時には間違いなくありました。

 しかし、数年前にこの墓地を訪れた時に、墓標を見つけることができなかったのですが、仙台在住の先輩に「無い筈はない。」と断言されましたので、「また探してみよう。」と考えていたのです。

20160408170857 本日、東京医科歯科大学の後輩を誘って墓地を訪れてみました。やはりありません。墓域の整理に掛かって無縁墓地に合葬されたようです。この無縁墓地には似た形の墓標がたくさん積み上げられていましたが、その中にも件の墓標は見つけられませんでした。
 仕方がないので国宝に指定されている八幡神社の本殿を参拝して帰ってきました。

小柳美三 こやなぎ-よしぞう:とは

1880-1954 明治-昭和時代の眼科学者。
明治13年12月生まれ。京都医専教授などをへて,大正8年東北帝大初代眼科学教授となる。この間フォークト-小柳型とよばれる全身症状をともなう前眼部の特発性葡萄(ぶどう)膜炎を発見した。昭和29年2月25日死去。73歳。東京出身。京都帝大卒。

Categorised in: 未分類