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2016年3月18日

7681:春の小川は新宿代々木が原風景でした。

7681:春の小川は代々木が原風景でした。
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高校の医薬同窓会という珍しい会が新宿で行われこれに参加してきました。今年で第4回です。

◎その時に伺ったお話、小学校唱歌:春の小川は今日の会が行われた新宿辺りを舞台に作られたものであったというお話。厚生省の局長さんに伺いました。小耳に挟んだ淀橋あたりではなく、代々木八幡あたりだったようです。新宿近辺の川でも神田川の水系ではなく、宇田川に合流する水系だったようですね。今はもう暗渠になって地上には存在しないそうです。

1912年、『尋常小学唱歌 第四学年用』に載った歌詞は次の通り。1930年頃までに生まれた世代はこの歌詞で習っている。当時は作者の名前が伏せられていた。※著作権消滅済

一、

春の小川はさらさら流る。

岸のすみれやれんげの花に、

にほひめでたく、色うつくしく

咲けよ咲けよと、ささやく如く。

二、

春の小川はさらさら流る。

蝦やめだかや小鮒の群に、

今日も一日ひなたに出でて

遊べ遊べと、ささやく如く。

三、

春の小川はさらさら流る。

歌の上手よ、いとしき子ども、

聲をそろへて小川の歌を

うたへうたへと、ささやく如く。

 作詞をしたとされる高野の自筆原稿は発見されておらず、歌のモデルの川については決定的な資料はない。作詞当時、高野は東京府豊多摩郡代々幡村の一角(現在の代々木3丁目)に居を構えていた。当時の一帯は一面の田園地帯であり、宇田川の支流のひとつである河骨川と呼ばれる小川が田を潤していた。高野は家族ともどもこの川に親しみ、それを謳ったのがこの歌であるという説がある。 河骨川は1964年(昭和39年)に暗渠化されたが、かつての川の岸辺、小田急線の代々木八幡駅にほど近い線路沿い(代々木5丁目65番地)には歌碑が建てられ、渋谷区教育委員会による解説が添えられている。また、渋谷区内で宇田川や渋谷川に合流することから、歌の舞台としてこれらの川が紹介されることがある。ただし、高野が現在の長野県中野市出身であることから、この小川は高野の地元である長野県内のことではないかとする説もある。:(ウィキペディアから)という事です。

私は医療法人名に医療法人深志清流会と出身高校の名前を入れているので、この会では、法人名の自慢から始めます。名簿を見ると16回卒業の方が一番古く、私は24回卒(昭和47年卒)で年長側から8番目。同級生の参加は一人だけでしたが、全体の参加者は24人でした。

小学校、中学校、高校と同じコースだった方が、今や大きな製薬会社の会長になっておられたりもしました。眼科で知り合いの方のお父さんが見えて居たりもしました。また、私の生まれた村の同じ集落出身の方とも久方ぶりにお会いしました。

高校の卒業生で、医薬関係に進んだ人が集まる会という珍しい形態を今後も大事にして行けたらと思っています。

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