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2016年2月20日

7491:映画チャイナタウンを見ました。


清澤のコメント;『チャイナタウン』(原題: Chinatown)はロマン・ポランスキーが監督した1974年のアメリカ映画。映画を見終わってから、この有名なポランスキー監督の履歴を見てまたまたびっくり。

 ユダヤ人としての酷い迫害を受けて来ればこその特異な性格がこの映画を作らしめているのでしょうか。映画で最後に父親を射殺し逃亡を図る「モーレイ夫人」が、警官に射殺されてしまうという落ちも、ハピーエンドの原作脚本に反対したポランスキー監督の主張に従ったものだったという事です。

 チャイナタウンという映画の命名の必然性や、東洋人に対する作者の意識も不詳です。
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 ポランスキー監督の妻シャロン・テートが1969年にチャールズ・マンソン率いるカルト教団に襲われ、惨殺されたという因縁も調べてみました。マンソンにはその屋敷の前の住人に恨みがあり、殺人が目的ではあったのですが、その家がすでにポランスキー家になっていることさえも、また殺人者たちは、被害者が女優のシャロン・テートたちであることさえも知らなかったようです。

 この映画では本人がチンピラの悪役で出演しているところにも注目。実生活ではその後に映画に出演した未成年女性に対する性犯罪を問われたことも一度ならずあったという事で、終身刑を宣告された米国から逃亡して、ヨーロッパに戻って暮らしているということです。現代のラスネール的な面もありそうです。

ストーリー (以下はwikipediaからの抜粋です)

ロサンゼルスの私立探偵ジェイク・ギテスは「モーレイ夫人」と名乗る女性に依頼され、市の水道局幹部であるホリス・モーレイの身辺調査をすることになった。

尾行の結果、ジェイクはホリスが若いブロンドの女性と逢っている様子を写真に撮影する。だがホリスのスキャンダルはすぐに新聞にすっぱ抜かれ、更にホリス自身も何者かに殺害されてしまった。しかも最初にモーレイ夫人を名乗って調査依頼してきた女は別人と判明する。

ジェイクは独自に事件の真相に迫ろうとするが、そこで見たのはロサンゼルスの水道利権を巡る巨大な陰謀と、ホリスの妻エヴリン、そして彼女の父である影の有力者ノア・クロスを中心とした人々の、愛憎半ばする異常な過去だった。

概要[抜粋]
1930年代後半のカリフォルニア州ロサンゼルスを舞台に、私立探偵が偶然にも関わってしまった殺人事件を通じ、誰にも変えられない運命の綾に踊らされる姿を描いた重厚なフィルム・ノワールである。

タイトルの「チャイナタウン」は、主人公がかつて警官だった時代にパトロールした下町である。場末に押し込められた中国系住民の中にも人間の表と裏の相克があり、その場にいる人間は警官であれ探偵であれただ見ているしかなく、その無力さゆえに虚無観に晒される様子を象徴している。

物語の舞台設定や1930年代を忠実に再現した美術が秀逸であり、キャストも個性派を並べた一流揃いであった。全編に渡ってフィルム・ノワール的な虚無感と退廃感を漂わせながら、往年のフィルム・ノワールにはなかった社会史的視点をも盛り込んだことで、1970年代に相応しい現代性を持ち得たミステリー映画の傑作として、高く評価されている。批評家やファンによる様々な人気投票では、常に上位にランクインする。

劇中の随所に見られる生々しい暴力描写と、悲劇的結末、そして「アンチヒーロー」なキャラクター設定から、当時すでに勢いを失いつつあったアメリカンニューシネマの匂いのする作品になったが、完成度の高さゆえ、年月を経てもその評価は揺らぐことがない。
ロバート・タウンにとっても代表作というべき脚本であり、彼は本作によって、アカデミー脚本賞と1975年のエドガー賞(映画脚本賞)を受賞している。

脚注:
フィルム・ノワールは、虚無的・悲観的・退廃的な指向性を持つ犯罪映画 を指した総称。狭義には、1940年代前半から1950年代後期にかけて、主にアメリカで製作された犯罪映画を指す。

ポランスキー:ロマン・ポランスキー(Roman Polanski, 1933年8月18日 – )は、ポーランドの映画監督。
ユダヤ教徒のポーランド人の父親とカトリック教徒でロシア生まれのポーランド人の母親の間にフランスの首都パリで生まれる。3歳のとき一家はポーランドのクラクフに引越。第二次世界大戦時はユダヤ人ゲットーに押し込められた。母親はアウシュビッツで虐殺された。父親は強制労働をさせられ、生き残った。自身も、フランスのヴィシー政権下における「ユダヤ人狩り」から逃れるため転々と逃亡。1962年に監督デビュー。1963年にアメリカのヒューストンに居を構える。女優シャロン・テートと結婚するが、翌1969年8月9日、テートは自宅でカルト教団に惨殺された。1977年に当時13歳の子役モデルに性的行為をした嫌疑をかけられ逮捕、裁判では司法取引により法定強姦の有罪の判決を受けた。その後、保釈中にヨーロッパへ逃亡した。以後アメリカへ一度も入国していない。2002年公開の『戦場のピアニスト』で第55回カンヌ国際映画祭パルムドール及びアカデミー監督賞を受賞したが、逮捕・収監の可能性があるため授賞式には参加せず。

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