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2015年9月15日

6969;東京駅八重洲口に鉃鋼ビルディングが完成します。

当医院は大手町駅からは東西線で7駅10分ほどです。そこに、日本の産業を支えてきたビルの再生で、オフィスと多彩な商業施設を融合させて、大丸有エリアの人・街・時をつなぐ
鉃鋼ビルディングが出来ました。

日本の産業を支えてきたビルの再生
オフィスと多彩な商業施設を融合させて
大丸有エリアの人・街・時をつなぐ

戦後の復興期から60年余にわたり、東京駅八重洲口の歴史を創ってきた
「鉃鋼ビルディング」が、この秋、生まれ変わる。ビジネス拠点としてだけでなく、東京駅東側エリアの要として、新たな人の流れを創り出す。

大手町・丸の内・有楽町エリアを指す「大丸有」は東京のビジネスの中心地であり、高級ショップが軒を連ねる人気の観光スポットでもある。

 2015年秋、東京駅八重洲北口に隣接する丸の内1丁目という大丸有の要の場所に、八重洲口の新たな顔となる高層ビルが誕生する。20階建てのにぎわい施設棟と地上26階建てのオフィス棟から成る「鉃鋼ビルディング」である。

国際ビジネスに対応する宿泊施設と空港バス

 外堀通り内側のこの場所には、1951年に完成し、東京復興の象徴となった第一鉃鋼ビルディングと、54年に建った第二鉃鋼ビルディングがあった。両ビルとも耐震補強工事が済んでいたため、東日本大震災でも無傷だったが、ビルを所有管理する鉃鋼ビルディングでは、当該地区が国の指定する都市再生緊急整備地域に指定され、容積率の引き上げなど都市再生特別地区の特例が受けられることから、建て替えを決めたという。

「われわれは人・街・時をつなぐ拠点となることを目指しています。東京の玄関口に位置していることから、多くの人や企業が交差する場としての役割を果たし、また観光客も多い八重洲口のにぎわいと、大手町・丸の内のビジネスエリアもつなぎたいと思っております。そして東京の復興から高度経済成長を支えてきた当ビルの歴史と伝統を、東京の未来につなぐ役割を担っていきたいと考えております」と増岡祥文・代表取締役社長は説明する。

 にぎわい施設棟にはレストラン、ショップ、クリニックなどの商業施設が充実。また国際的な金融拠点化を見据えたビジネスサポート機能を強化し、海外ビジネスパーソンの短期から中長期滞在までを想定したエリア初のサービスアパートメントや貸会議室、フィットネスクラブなどを完備している。さらに、現在は八重洲南口の露天にあるエアポートリムジンバス(東京空港交通)乗り場を1階に設置し、24時間発着できる体制を整える。成田空港へのアクセスも容易だ。もちろん東京駅の新幹線ホームも至近距離にある。

地域初の免震ビルで
安全と安心を提供

 オフィス棟は、快適で安全なオフィス環境をビジネスパーソンに提供する。
「オフィススペースはワンフロア当たり平均で2370平方メートル(717坪)、最大で2620平方メートル(793坪)あります。またアウトフレーム化により柱型の凹凸がなく、さらに広く開放的な無柱空間を実現しているので、自由なレイアウトが可能になりました。外観については、外堀通り沿いの間口が200メートルもあるので、アウトフレームによる縦ラインを強調することで、景観を引き締める効果が得られています」

東京駅に隣接して建つ新たな鉃鋼ビルディング。1階に設けられたバス発着場およびリムジンバス待合ラウンジ(右上)が、羽田空港、成田空港と東京駅をつなぎ、人の流れの起点となる

にぎわい施設棟には、貸会議室などのビジネスサポートフロアと123室のサービスアパートメントを用意。海外から来たビジネスパーソンの職住がここで完結する

 窓には、断熱性と日射遮蔽性を向上させるLow-e複層ガラスを採用。太陽光追尾型自動ブラインドを設置して、日差しを遮って熱負荷低減を図るとともに、外部の風に影響されない重力式の自然換気システムを導入するなど、快適なオフィス環境を実現している。

 安全の面では、不審者を排除する強固なセキュリティシステムはもちろん、巨大地震に備えてエリア初の中間層免震構造を採用した。下層階は強固な地盤(江戸川層)に固定されており、オフィス棟の3階と4階の間に、にぎわい施設棟の5階と6階の間に天然ゴム系積層ゴム支承、U型鋼材ダンパー、オイルダンパーの3種類の免震材料を設置し、関東大震災規模の地震でも水平動に対する安全性を高めて影響を最小限に抑制する設計となっている。さらに、さまざまな災害に備えて、安定した非常用発電、飲食料、防災用品の常時備蓄などを的確に配置、定期的な防災訓練を実施することで万全のBCP(事業継続計画)支援を行う予定だ。

「災害に対する備えは、旧鉃鋼ビルディング時代から実施しています。帰宅困難者の受け入れまで想定した計画を策定し、外部からの水や電気の供給が途絶えても3日間程度は耐えられることを目指していました。新しいビルではその思想を継承し、より高いレベルのBCP対策を実現しています」

 ビジネスパーソンを出迎えるエントランスロビーは、機能的でありながら格調と落ち着き、そしてどこか懐かしさを感じさせる。格子や照明などに旧鉃鋼ビルディングの歴史を引き継ぐデザインを要所に取り入れているためだ。東京の復興に貢献した鉃鋼ビルディングは、かつての日本経済の力強さの面影を残しながら、新たな歴史を創り上げていく。

日本を支え、世界に羽ばたいた 企業を育んだビル

日本を支え、世界に羽ばたいた企業を育んだビル

 鉃鋼ビルディングは、戦後の復興期の1949(昭和24)年に港区で鉃鋼会館として創業した。増岡登作・初代社長は、企業の要請に応えられるビジネスセンターの必要性に気付き、戦災のがれきで埋め立てられた現在の土地に鉄筋鉄骨コンクリート造り、地上8階・地下2階の、当時としてはまれな近代高層ビルを1年9カ月の短期間で完成させた。企業の期待は大きく、落成披露を待たずに30社の契約がまとまったという。その多くは八幡製鉄本社をはじめ、鉄鋼関連の諸団体だったこともあり、名称が「鉃鋼」となった。
 第二鉃鋼ビルディングには、当時としては珍しい全館空調設備が導入され、窓には紫外線よけの英国製ガラスが採用された。第一の各階と渡り廊下で連続させる設計となり、東京駅八重洲口から呉服橋に至る200メートルに及ぶ巨大オフィスビルが完成し「一大経済センター」と呼ばれたほどの威容を誇っていた。

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