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2015年8月30日

6929:地雷を踏んだらサヨウナラ:一ノ瀬泰造伝を見ました。

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72年、民族解放軍クメール・ルージュと政府軍との闘争が激化するカンボジアの首都プノンペン。25歳のフリーカメラマン・一ノ瀬泰造は、解放軍の聖地である遺跡アンコールワットの撮影に燃えていた。そんな彼の心の支えになっていたのは、親友の高校教師・ロックルーや彼の親類でレストランを営むマダム、そしてソッタとチャンナの幼い兄弟を初めとする子供たちだ。その子供たちがロケット弾の犠牲になったことで、益々アンコールワットへの想いを強めていった泰造は、しかし政府軍によって国外退去を命じられてしまう。カンボジア以上に戦火の激しいベトナムへ移った後、姉の結婚式に出席する為に一時帰国する泰造。だが、アンコールワットへの想いを断ち切れない彼は、再び戦地へ旅立つ。毎日新聞の松山記者の計らいで、カンボジアに密入国を果たした泰造は、ロックルーの結婚式に出席した後、「地雷を踏んだらサヨウナラ」という言葉を残してジャングルの中に入っていく。ところが、彼はクメール・ルージュに捕まってしまう。必死の思いで逃走を試み、遂にアンコールワットを目にすることが叶う泰造。だがその時、彼の背後には追いついた兵士が銃を構えていた—-。

清澤のコメント:短かった一ノ瀬の一生に対して深い思いを抱かせる映画です。松竹を辞めた奥山氏を中心にしたチームオクヤマの最初の作品だったそうです。
 カンボジアではクメールルージュ(ポル・ポト)政権下で医師、教育者、行政官などの知識人を殺し尽くし、数年で人口の20パーセントが減るという惨状が見られたとも言います。実際には有名なベトナム戦争よりもさらにひどい殺戮が行われた様で、一ノ瀬の死もそれにつながるものだったのでしょう。
 8年後に一ノ瀬の遺体が見つかったというニュースは私もその時に聞いた覚えがあります。

■1947年11月1日佐賀県武雄市生まれ。
■1970年3月 日本大学芸術学部写真学科卒業。一ノ瀬の大学時代は、学園紛争があり、大学は約一年間閉鎖された。彼は、ボクシングにうちこみ4回戦ボーイまで経験する。卒業後UPI東京支社でアルバイト。
■1972年1月 自費で、インドパキスタン戦争の取材にでかける。
■1972年3月 カンボジアの戦場に立つ。
■1972年6月 カンボジア強制退去
■1972年~1973年6月 ベトナム戦争取材。アサヒグラフ ワシントンポストなど内外のマスコミで活躍。
■1973年6月 カンボジア入国。首都プノンペンに一ヵ月滞在。公安に監視され地方に行くことは許されなかった。
■1973年8月 サイゴンのカンボジア大使館で、2週間という条件でビザを発行してもらう。再びサイゴンから、韓国の弾薬輸送船に乗り、プノンペンに向かう。3割しかプノンペンに着かない危険な賭けだ。
■1973年11月8日 シアムリアップにて友人のカンボジア人教師、ロックルーの結婚式を撮影する。
■1973年11月22日か、23日、アンコールワットに単独潜入して行方不明、26才になったばかりだった。

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