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2015年8月30日

6928:日本写真史 上 – 幕末維新から高度成長期まで:読みました。

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日本写真史 上 – 幕末維新から高度成長期まで (中公新書) 新書 – 2013/12/19
鳥原 学 (著)

19世紀半ば、日本へ輸入された写真。日露戦争を経て新聞・出版メディアが拡大するなか報道写真が成長。第二次世界大戦時にはプロパガンダに利用され、また敗戦直後には「マッカーサーと天皇」の写真のように、社会に大きな影響力を持つようになった。戦後は戦禍や公害問題を追及するリアリズム写真が隆盛を誇ったが、経済成長とともに私的テーマ、広告へと多彩化する。本書は1974年まで120年に及ぶ歴史を描く。

序章:写真史の時代 幕末維新~明治期

Ⅰ、誕生から日本へ:英仏では19世紀前半のニエプスやゲダール(ゲダレオタイプ)の研究開発。幕末に日本では「坂本竜馬像」「フルベッキとその塾生」などが撮られた。

Ⅱ近代化の記録:外国人向けの土産物の横浜写真と御真影が挙げられる。日清、日露戦役では記録目的の写真が撮られた。仏壇脇の遺影もこの時代から。

第1章 メディアの中へ 大正期~第二次世界大戦

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Ⅰ、アマチュア写真家と写壇の成立:1880年には個人的に写真を撮るアマチュア写真家人が増え、乾板も普及した。

Ⅱ、ドイツからの衝撃:都市景観の近代化はアマチュア写真家の絶好の被写体だった。
写真独自の表現性を追求したノイエフォトグラフィーの伝来。ライカカメラが流行。

200px-Front_1-2Ⅲ、報道と宣伝  戦争の時代の中で:国策の変化とともに育っていった。日本工房による報道写真。木村伊兵衛ら。

第2章 敗戦・戦後の風景 1945-59年

無題Ⅰ、焼け跡に立った写真家:広島長崎では被爆写真が撮られた。東方社は解散され、文化社となった。文化社は焼け跡を写した。GHQはまた新たな報道規制を行った。雑誌ではカストリ雑誌が発行された。

無題Ⅱ、報道写真の再起:占領軍43万人には多数の従軍カメラマンも含まれていた。その後フォトジャーナリストたちも来日した。彼らの作るフォトストーリーには敗戦国を見下す部分も感じられた。週刊サンユースと岩波写真文庫も発刊された。三木淳はタイムに多くの写真を載せた。この時代、産業界ではニコンが名声を得た。1950年パリのマグナムを真似て日本には集団フォトが結成された。カルチィエ・ブレソンも注目され木村伊兵衛らに影響を与えた。この時代にはリアリズムという言葉も注目された。
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Ⅲ、写真のヌーベルバーグ:昭和30年にはカメラブームがあり、「12人の写真家」が出現した。写真界に大きな影響を与えたのはヒューマニズムという普遍的価値を訴えた「ザ・ファミリー・オブ・マン」展であった。新しい潮流は広告写真であった。
IMG_0645日系2世の石元泰博の来日もあった彼は桂離宮を写すのに特有な屋根を省いてみせた。
 VIVOの設立は昭和34年。この世代は軍国主義教育を受けて育ち、戦後その教育を不定されていた。

第3章。 高度成長と国際化の自画像
Ⅰ、ナショナルアイデンテティーの再構築
無題時代の変化を示す一枚のニュース写真。間もなく東京オリンピック1964年が来る。記録映画としての「東京オリンピック」が作られた。ベトナム戦争もこの時代のテーマ。15人の日本人写真家が死亡または行方不明になっている。

Ⅱ、原典と自立への志向:大学紛争もよく取り上げられたテーマだった。

Ⅲ、私生活の描写とアートとしての自立:この祭りの後と呼ばれる空虚な時期、荒木経惟が登場する。

(以下、下巻に続く)
清澤のコメント:
まず通読した後、主な話題を拾ってみました。日本写真史の年表をさらに抄録したような形なので、この内容に共感いただくには本文に戻っていただく必要があるでしょう。
しかし各時代において、技術の発展と実際の興味は見事に表裏一帯をなしてきていたことがわかりました。私に見おぼえのある数々の写真がその時代において持っていた意味もよくわかりました。
写真に興味が有る方ならば、お勧めできる一冊です。

さて、ベトナム戦争以後多くの日本人写真家が命を落としたそうです。そこで澤田教一の死を扱った本を取り寄せ、一ノ瀬泰三の死を扱った映画も見てきました。今後追加記事にいたします。

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