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2015年8月9日

6872:ソ連参戦、長崎原爆、1945年8月9日はこんな日だった

ソ連参戦、長崎原爆、1945年8月9日はこんな日だった

【戦後70年】長崎原爆、ソ連参戦 1945年8月9日はこんな日だった
(要旨)
The Huffington Post | 執筆者: 吉野太一郎(要点)
投稿日: 2015年08月09日 09時07分 JST

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■ソ連参戦
前日、突然のソ連による対日宣戦布告の直後だった。
8月9日、午前0時を回り、ソ連軍は国境を越え、満州に一斉に侵攻した。新京(長春)、哈爾浜(ハルビン)、チチハルなど主要都市を空爆が襲った。
満州東部の虎頭要塞には、兵士6万人に火砲950門、戦車・自走砲166が日本軍の国境守備隊に襲いかかった。眠りに就いたばかりの日本軍は不意を突かれ、防戦に終始する。明け方までに国境守備隊など部隊の玉砕、居留日本人の集団自決が相次ぐ。開拓団のうち列車で避難できたものは殆どおらず、大抵が徒歩で避難し、途中ソ連軍と暴民の挟撃に遭いつつ山野跋歩の難行軍を続けた。ソ連軍による民間人への攻撃、略奪、強姦。逃避行の中、餓えや寒さによる大量死は、8月15日を過ぎても続いた。

slide_360927_5855664_compressed■長崎原爆

8月9日午前2時47分、南太平洋のテニアン北飛行場を、プルトニウム239爆弾「ファットマン」を積んだ爆撃機B-29「ボックス・カー」が離陸した。屋久島を経て午前9時44分、小倉上空に到達した。ボックス・カーは小倉上空を3回旋回したが、目標をとらえることができなかった。ボックス・カーは次の投下目標、長崎に移動した。午前11時02分、高度9600メートルの上空から、史上2発目となる原子爆弾が長崎に投下された。その瞬間、約7万5000人の命は一瞬にして奪われた。

■ポツダム宣言受諾の流れは決まった。問題は…

昭和天皇の早期終戦の意を受けて招集された最高戦争指導会議は、8月9日午前10時30分開始のはずが、11時になってやっとメンバー6人がそろった。会議の焦点は、どうやってポツダム宣言を受け入れるかに絞られた。会議は休憩を挟んで断続的に午後10時30分まで続いたが、ポツダム宣言受諾の条件を巡って堂々巡りを繰り返し、結論は出なかった。鈴木首相は、昭和天皇が出席する御前会議の招集をかけた。午後11時50分、約50平方メートルの地下防空壕の中で、御前会議は始まった。

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