お問い合わせ

03-5677-3930初診受付

ブログ

2015年7月19日

6797 原潜事故の映画「K-19」を見ました。

139824_01
今日見た映画です。
あらすじ:1961年7月4日、艦長ニコライ・ウラジミロヴィッチ・ザテエフ大佐の指揮下、グリーンランド付近の北大西洋上を航行していたとき、同艦は原子炉冷却材システムにトラブルを起こし冷却水漏れ事故を起こした。幾つかの故障が重なって長波無線システムが使用不能になり、同艦はモスクワに指示を仰ぐことはおろか救援の要請もできなかった。

技術士官と下士官以下8人からなる対策チームは、新品の冷却システムの応急修理をするために高濃度放射線区域に長時間留まることを余儀なくされた。全乗組員は高濃度の放射線被曝を受け[要出典]、そして、修理班の1名を除く8人は、人間の致死量の10倍に達する放射線(約45シーベルト)の被曝により、1週間以内に死亡した。

清澤のコメント:
この映画はソ連の原子力潜水艦が起こした原子炉事故の顛末を描いた2002年のアメリカ映画です。米国の原子力潜水艦も実はいくつもの事故を起こしていますが、事故はソ連北方艦隊に圧倒的に多かったようです。原子力発電所よりもはるかに高い頻度です。注1
この映画は、ロシア人乗組員の勇敢さを描く形を取っておりますが、アメリカがこの映画を作ったのは、ソ連の崩壊後です。ソ連の技術力の低さをあげつらいたいと言った下心も見える気がする映画です。毅然とした艦長役のハリソンフォードは素敵です。

 最初は怖がって原子炉に近づけなかった腰抜けの秀才原子力技術者が、被爆後には被ばくしながら作業を完遂し、起きられなくなっ汰状態で恋人の写真を渡されても目が見えないという場面があります。これは急性期の被ばく症状としての白内障であって、おそらくは放射線性の網膜症ではないだろうなどと思いつつ見ておりました。

envfig-c140625-1
注2
◎急性放射線症

全身に1Gy(=1,000mGy)以上の放射線を一度に浴びた場合、急性放射線症と呼ばれる、一連の臓器障害を来すことがあります。この状況を時間の経過で観察すると典型的に「前駆期」「潜伏期」「発症期」の経過をたどり、その後回復するか死亡する。

被ばく後48時間以内に見られる前駆症状により、おおよその被ばく線量を推定することが出来る。 その後、潜伏期を経て発症期に入ると、被ばく線量の増加と共に「造血障害」「消化管障害」「神経血管障害」の順で症状が現れる。これらの障害は、放射線感受性の高い臓器や組織を中心に現れ、概して被ばく線量が多いほど潜伏期が短くなる。

皮膚は1.3~1.8m2/成人と生体でもかなり大きな面積を持つ組織で、被ばく直後に初期皮膚紅斑が出る事があるが、一般には皮膚障害は被ばく後数日以上経過後に現れる。

ーーーー
注1:原潜の原子炉事故(http://www.antiatom.org/GSKY/jp/Rcrd/Politics/-99/98_belona.htm)

ロシア原潜の核事故

 核事故は、制御のきかない連鎖反応が起こりうる「制御の喪失」事故、または、「冷却剤喪失事故」のいずれかに分類される。ソ連原子力潜水艦が就航していた時期全体を通し、10件の核事故が発生した。一つは、1970年にチャーリーI級のK-329建設中におこった。燃料補給作業中だったK-11およびK-431でも事故が発生、造船所での軍艦原子炉の補修中に1件(K-314)、潜水艦の改良中に1件(K-222)、海上で4件、炉心閉鎖中に一件(K-314)起きている。太平洋艦隊潜水艦の事故が2件、北方艦隊が7件、残る一件は、ニジニ・ノブゴルドにある造船所で起こったものである。

K-19
 ロシア潜水艦の最初の事故は、北方艦隊の弾道ミサイル潜水艦K-19(プロジェクト658-ホテル級)で起こった。1961年7月4日、北大西洋での演習中、K-19の一次冷却循環系統の立ち入り不能個所で漏出が発生した。漏出は一次冷却循環系内の圧力を調整するパイプで起こっていることが突き止められた。漏れは、圧力を急激に引き下げ、原子炉非常システムを作動させた。

 炉の過熱を防ぐためは過剰な熱を取り去らなければならず、これは、炉の中に冷却材を継続的に循環させることによっておこなわれる。一次循環系に冷却材を供給するためのシステムは内蔵されておらず、連鎖反応の制御かきかなくなる恐れがあった。炉に冷却剤を供給する急場しのぎのシステムが工夫された。それには、一次循環系の漏れに対処するさい、将校、見習い将校などが原子炉区画内のなるべく離れた、放射線に満ちた条件の下で長時間にわたり働かなければならなかった。この場合、放射線は毒ガスや蒸気からくる。乗組員全員が大量の放射線にさらされ、8名が50ないし60シーベルト(5000ないし6000レム)の放射線を浴び、急性放射線障害で死亡した。乗組員は、ディーゼル機関の潜水艦に避難し、K-19はコラ半島に曳航されて帰還した。

K-11
 第二の核事故は、1965年2月、潜水艦K-11の艦内で起こった。潜水艦は、セベロドビンスク海軍造船所のドックにおかれており、炉心を取り出す作業がおこなわれていた。放射能を含む蒸気の漏れが探知され、状況は急激に悪化した。放射線監視装置の針は目盛りを振り切り、要員全員が退避した。間違った結論が出され、2月12日、炉の蓋があげられると、蒸気が噴出し、火災が発生した。放射能汚染のレベルや人員の被ばくのデータは存在しない。結局、炉は廃棄となり、交換された。

K-27
 1968年5月24日、原子力潜水艦K-27は、航海中であった。海上試運転の間、原子炉は、出力を抑えて運転されていたが、原因は不明だが出力が不意に低下した。同時に、原子炉のおかれた区画ではガンマ放射線が毎時150ラド(150R/h)まで上昇した。放射性ガスが安全緩衝タンクから原子炉の区画に漏れ、潜水艦内の放射線が上昇した。事故は、炉心冷却上の問題によって生じたものであった。1981年、潜水艦そのものがカラ海に沈められた。

K-140
 1968年8月、原子力潜水艦K-140が海軍造船所に修理のため停泊した。船の性能向上の作業の後、制御棒の一つが高い位置に引き上げられたとき、炉の一つが自動的に始動した。出力は通常の18倍に上がり、炉内の圧力と温度は通常の4倍に上昇した。艦内の放射線レベルは上昇した。

K-429
 1970年、最新鋭とされた潜水艦K-329がクラスノエ・ソルモボ造船所で停泊していたとき、同艦の原子炉が始動し、制御がきかなくなった。これは火災と放射能漏れ発生へといたった。

K-222
 1980年9月30日、原子力潜水艦K-222は、原子炉の総点検のためセベロドビンスクの工場に停泊していた。自動装置が作動しないまま、制御棒が引き上げられ、原子炉が制御に始動した。この結果、炉心が破損した。

K-123
 1982年8月8日、バレンツ海で航海中、潜水艦K-123の原子炉から、液体金属冷却剤が漏れた。この事故の原因は、蒸気発電機からの漏れにあった。およそ2トンの合金が原子炉のある区画に流れ込み、原子炉に修復の余地のないほどの損害をあたえた。この潜水艦は、修復に9年の歳月を要した。

K-314
 1985年8月10日、潜水艦K-314(プロジェクト671-ビクター級)は、ウラジオストク外側のチャズマ湾の海軍造船所内にいた。この潜水艦の原子炉は、燃料補給中に臨界に達した。その結果起こった爆発により大量の放射線が放出し、ショトヴォ半島から6キロの範囲および海軍構内外側の海が汚染された。

K-431
 1985年12月、原子力潜水艦K-431(プロジェクト675エコーⅡ級)は、ウラジオストクの外側にある基地にもどる途中、原子炉が過熱状態となった。この潜水艦は、現在パブロフスクの海軍基地のドックに収容されている。

K-192(もとK-131)
 1989年6月25日、コラ半島ガジィエヴォにある基地に帰る途中、潜水艦K-192(プロジェクト675-エコーⅡ級)は、搭載する原子炉2基のうちの一つに事故をおこした。
 冷却材の喪失により、原子炉の温度が上昇し警報装置が作動した。ふたたび冷却剤の補充スイッチが入れられたが、すでに遅すぎた。潜水艦の乗員は、最高で40ミリシーベルトの放射線をあびた。
 
K-8
 1960年10月13日、北方艦船に所属する潜水艦で、海軍用原子炉が関係するもっとも深刻な事故のひとつが発生した。事故は、原子炉の冷却剤がなくなったことが原因で、この事故は、この原因に応じて分類されている。(

Categorised in: 未分類