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2015年6月23日

6705: 結婚を嫌う人たちの特徴と問題点

結婚を嫌う人たちの特徴と問題点 三田次郎 2015年06月22日 00:11 概要

家族を形成する工程は、つい最近まで社会がオーガナイズしていた。個人的関係性が社会的制約に比し不確実である以上、現在的家族の在り方は、勢い不安定になる。

AERA6/22号では、個人と個人の結びつきに堕した結婚が一定の割合の人々にとって、もはや経済的打算の産物でしかないことを示唆する記事を載せている。

「嫌婚派」の言い分では、結婚(=他者と暮らすこと)は個人的快楽を妨げるだけで、何のメリットもない。「嫌婚派」の言い分は理にかなっているように見えるが、自身の内面に宿る重要な欠陥を見逃している。彼らは無駄/有益という区分けを全てのカテゴリーの判断材料とするが、個人的関係性にはその区分けは該当しない。

「嫌婚派」が個人的関係性を白黒の判断で処理しようとする背景には、育った家庭環境に特徴がある。「嫌婚派」と「好婚派」の違いは「親が築いた家庭に憧れる?」という質問の答で、嫌婚派の男性の約70%、女性の75%が「憧れない」と答え、好婚派は男女いずれも半分以上は「憧れる」と答えている。

夫妻の個人的関係性を得失点で勘定する家庭では、コミュニケーションの豊かさが持続しない。個人的関係性はいつでも喧嘩も修復も可能であり、理解も理解不能もいつでもやってくる。他者を全き他者のままで存立させることこそ、個人的関係性の要諦。

社会的制約のくびきから逃れた現代人が、結婚し、家族を構成するには個人的関係性の成熟が必要だが、そういった関係性をトレーニングする場はなくなってきている。

ーー全文採録ーー
結婚を嫌う人たちの特徴と問題点 三田次郎 2015年06月22日 00:11

3/16にNHKで放送された「あさイチ」で「ガキ夫のなぜ?」というテーマが採り上げられ、一時期ネット上でも話題になっていた。

家庭でだらしのない夫、服は脱ぎ捨て、家事は言われたことしかしない、指摘するとすぐにスネるなどの「ガキ夫」の条件に合うとみられるケースがなんと8割以上にのぼる、ということで女性陣からの糾弾、それに対する男性陣の反発となかなか熱く盛り上がったらしい。

妻/夫と結ばれ、子をもうけ、家族を形成するという工程は、つい最近、20世紀後半まで地域や社会がオーガナイズしていた。

家族は社会の最小構成単位であり、国や社会の存続にとって決定的な要因になるという事実を考慮すると、社会によってオーガナイズされる家族という構造は、理にかなっている。

一方、個人的関係を前提条件とした家族の在り方は、むしろアナーキズムに近い立ち位置にある。

個人的関係性が(社会的制約に比して)不確実である以上、個人の結びつきを前提とした現在的家族の在り方は、勢い不安定にならざるを得ない。

家族が社会的要請というくびきから解放された時代に、個人と個人の結びつきによって成立する結婚が個人的打算の産物に堕落し、存在価値を失っていくというストーリーは、理解しやすい。

「結婚はコスパが悪い」という特集を組んだAERA6/22号では、(社会的な因習から遊離し)個人と個人の結びつきに堕した結婚が一定の割合の人々にとって、もはや経済的打算の産物でしかないことを示唆する記事を載せている。

「嫌婚派」の言い分は、わかりやすい。

彼らにとって、結婚(=他者と暮らすこと)は個人的快楽を妨げるだけで、何のメリットもない。

いわく、「自分の趣味を優先したい」「好きな仕事を優先したい」「恋愛が煩わしい」・・・

PR会社に勤めるケイコさん(36)は、こういう。
「以前、つきあっていた彼のために仕事をセーブして尽くしたけど、ダメになったとき手元に何も残らなかった。同棲までした彼とも結局、結婚には至らず。これほど無駄な時間はないと思った。」

一見、「嫌婚派」の言い分は理にかなっているように見えるが、実は彼らは自身の内面に宿る重要な欠陥を見逃している。

彼らは無駄/有益、コスト/ベネフィットという区分けを全てのカテゴリーに適用させ、判断材料とするが、当然のことながら、個人的関係性には(四半期ごとの決算があるわけでもないし)そのような区分けは該当しない。

ケイコさん(36)が「彼」との関係性を「無駄」だと判断したのは、ある時点で結婚できなかったからだが、結婚の可否が個人的関係性の重要なベンチマークであるという前提と関係性の濃淡には何の相関性もない。

結婚できなかったから関係性の歴史が消えうせたわけではない。
例えメールの履歴が全て削除されたとしても、その経験・記憶が全てなくなるわけではない。

「嫌婚派」が個人的関係性を白黒のゼロイチの判断で処理しようとする背景には、育った家庭環境に特徴があるように見える。

AERAの特集ではいくつかのアンケートが紹介されている。

「嫌婚派」と「好婚派」の違いが最も濃厚に出ているのが「親が築いた家庭に憧れる?」という質問に対する答えで、嫌婚派の男性の約70%、女性の75%が「憧れない」と答えているのに対し、好婚派は男女いずれも半分以上は「憧れる」と答えている。

「憧れる」家庭の特徴はここでは言及されていないが、少なくとも個人的関係性をゼロイチで処理するような家庭ではないはずだ。
なぜならば、夫ー妻、親ー子といった個人的関係性を無駄/有益などといった得失点で勘定する家庭では、コミュニケーションの豊かさ(心地よさではない)が持続しないからだ。

個人的関係性はいつでも喧嘩可能であり、修復可能であり、理解も理解不可能も時を経て、いつ何時でもやってくるものだ。

フランスの哲学者エマニュエル・レヴィナスは「私」が他者の「顔」に対面し、その呼びかけに応答する責務を担うことで、他者を自同者(=自分の価値観の内通者)に解消する危険を避けることができる、と喝破したが、他者を全き他者のままで存立させることにこそ、個人的関係性の要諦があるのではないかと思う。

さて、冒頭で紹介した「ガキ夫」論争はさしてシビアな問題でもない。

「ガキ夫」かどうかが問題なのではなく、「ガキ夫」とパートナーの関係性が家庭の存続に関して決定的なのだから、パートナーが「ガキ夫」の「顔」を見て呼びかけに応答していれば、「ガキ夫」はパートナーの「他者」として存立できて、何の問題もない。

呼びかけー応答がなければ、「ガキ夫」はパートナーの中で内面化(自同者化)され、他者としての「ガキ夫」が存在しなくなり、関係性は解消されてしまう。

余談ながら、ネット上のコミュニケーションに「他者」が存在しないのは、呼びかけー応答に「顔」が介在しないからで、全てのコミュニケーションは最初から内面化(ゼロイチ思考化)されてしまっている。
そこには、修復・変化・再構成といった他者との交換はない。

社会的制約(地域の仲人、親や会社の上司による結婚の差配)のくびきから逃れた現代人が、結婚し、家族を構成するには個人的関係性の成熟が必要だが、そういった関係性をトレーニングする場(家庭・地域とも)はなくなってきているように思える。

一応付け加えておくと、AERAの特集が対象にしているのは経済的に安定した男女(男300万、女200万以上)なので、経済的理由から結婚できない層は除外されている。

経済的理由から結婚できない問題は、かなりの部分政治的な問題でもあるので、論点の立て方がまた違ってくるだろう。

蛇足

①個人的関係性の強度といわゆるコミュ力は似て非なるものだと思う。
スマホに何百人も「友人」を登録している人の個人的関係性が豊かだとは言えない。

②個人的関係性の強度が結婚にのみ反映されるわけではない。
師弟関係や友人関係にも反映される。数ではなく、濃度に。
従って、経済的に豊かで結婚していない人は個人的関係性が弱いということはできない。

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