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2015年6月21日

6694:JSCRS30周年記念講演 5先生の回想ビデオ印象記です

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 JSCRS30周年記念講演というものがあり、5人の白内障手術の発展に寄与し現在もご活躍中の先生方(三宅健作、山中昭夫、西起史(脚注1、2)、武藤興紀、清水公也各先生)のお話になるビデオが機械展示場の一角で連続上映されており、それを拝聴してきました。皆さん非常にストイックなお気持ちで今も手術に面しておられ、まったく「海賊眼科医」(脚注1)とは見えませんでした。

 思えば、この学会の前身となる会が出来て、30年という事はちょうど私の眼科医としての歴史に重なっています。最初の会員の名前がビデオに出ていましたが、東北大学では当時医局長をされていた私の最初のメンターである大槻潔先生のお名前がその中に有りました。

 東北大学の水野勝義教授は、岐阜大学の早野教授と名古屋大学の医局では同級生だったそうですが、水野教授は手術に対しては比較的保守的な方でした。その水野教授が初めて手術された東北大学で第一例目のアイリスクリップレンズの患者さんの主治医をさせていただいたのも思い出しました。「決して散瞳してはいけない。ずっとピロカルピンを注すのだ。」と無理な指導をさせられたのも想い出しました。当時の白内障手術は嚢内摘出でしたから、片側だけの白内障であることが眼内レンズの適応としていたと思います。

 そのうちに開業されていた渡辺春樹先生や、佐藤裕也先生方がAAOで眼内レンズを見てきて、おそらくは私費で仙台でも入れ始めたのでしょう。ある年のAAOで、水晶体嚢内に入れる後房レンズを見て来られた佐藤裕也先生が「これで今後の白内障眼内レンズの方向は決まった。」と話されたのを思い出します。まだそのころは米国の学会に自分が参加するなどというのは夢のまた夢でした。

 そのうちに嚢外法で核を娩出し、片手に持った注射器に付けたシムコ針で皮質を片付けられるようになりました。借り出した超音波乳化吸引装置で乳化吸引手術が行えるようになったのはその数年後のことでした。

 初期の乳化吸引装置はミサイルの様に核を叩き、確かに破嚢が起きやすく、使いたくはないようなものでした。東京医科歯科大学の病院でも新しい超音波乳化吸引装置が使えるようになるには、何年かを要したと思います。このころは鑷子を使えばどうと言うこともないのに、注射針を曲げたチストトームで円形に前嚢を切るCCCが綺麗に出来るかどうかを各術者が競っていました。
 
 自分では今はもう白内障手術を行わなくなっておりますから、白内障手術の学会には参加しなくてもよかろうかと思っておりましたが、こうして参加してみると、自分が歩んできた道も回顧出来、今後の眼科手術の方向も考えることが出来て良かったと思いました。

 同じ場所には、白内障とレーシックの年度ごとの手術数が掲出されておりました。(脚注3)白内障手術は百数十万件で順調に年に数パーセントずつ伸びています。しかしレーシックは2006年10万件、2007年20万件、そして2008年には45万件とピークを示します。しかしその後の銀座眼科事件辺りを境に凋落の一途をたどり昨年は10万件、今年は5万件というみじめな状態なのだそうです。社会的な事件やマスコミなどの対応によって一つの産業が崩壊した様を見る思いがしました。

 私はレーシックに対しては慎重派を任じて参りましたが、この数ですとほとんどの施設で「機械稼働が維持できる数が確保できない」という状況なのだそうです(脚注4)。レーシックという一面では優れた手術が日本から消滅してしまうという事にも、危機感を感じたものではありました。

脚注1:西先生のお話の概要
Dr Einsteinが海賊眼科医という言葉をオフタルモロジーに使い、また東北大学の水野勝義先生は日本の眼科に「金儲けのために、広告をして患者を集め、手術数数を競うというのを警告した。1980年ころは後房レンズの走りの時代だった。後輩への希望としては、1)海外への発信をせよ。2)研究には小さなものではなく、大きなテーマを選べ。3)特許などは取るべきではない。4)医師としての倫理感を持て。そろばんを頭に浮かべてはいけない、手術の数や短い時間を競うな。それが患者さん方への恩恵につながる。医者、芸者、役者は3馬鹿だから常識を失わぬように注意せよと親に諭されたがそれは真実である。毎週の医院の朝礼の時にこれを唱和させる。1)正直に、2)公正でフェアであれ。3)人間の尊厳の尊重:それは対患者さんとしての生き方に生きてくるだろう。また、先輩、同僚との良い交流が出来るだろう。

img-index04脚注2:東北大学教授水野勝義先生は私の恩師です。先生は昭和55年ころの若くて新しく不安定な手術にアンビシャスな眼科医たちに危惧を覚え、「海賊眼科医」になるなと日本の眼科で諭しました。それに対して、手術の発展を願い新たな技術の吸収や開発に情熱を燃やす一部の若手眼科医は「海賊眼科医の会」を作って、一層の研鑽に励もうと誓ったと聞いています。

脚注3
年度 人工水晶体出荷数 レーシック
    出荷数     手術数(万)

1992     288582
2000     871676         2
2005     983470         8
2008     1167394        45
2010     1252755        31
2012     1326907        20
2013     1387589        10?
2014                 5?

脚注4;関連記事抜粋
2013.03.13 レーシック手術数が激減 ずさん手術でイメージ悪化 医学会対応も不十分
http://biz-journal.jp/2013/03/post_1680.html

 「レーシック」の手術数が激減している。2008年の約45万件をピークに、12年は約20万件と半減。減少要因は大きく3つ。ひとつ目は、08年のリーマンショックによる消費マインドの低下。ふたつ目は、若い層に安値で手術をしまくって、需要を食い尽くしたため。00年ごろは両目で手術代100万円が、今は同様の手術が10万円以下。必要なレーザーを抱えている医療機関の場合、月に100件程度でないと採算に乗らない。撤退する医療機関も相次ぐ。3つ目は、イメージの悪化。そのきっかけは09年に悪化した銀座眼科の感染症事件。

 美容クリニック参入による顧客獲得競争で過矯正の人が増えた。過矯正は近くが見えにくくなり、ドライアイや頭痛の原因になる。「レーシック難民」も生み出した。

 さらに医学会の動きが遅い。日本白内障屈折矯正手術学会は、ようやく国内での合併症を把握する大規模な調査を行うことを決定した。国内手術数の過半を占める品川近視クリニックのビジネススタイルに眼科医界の医師たちからの批判があり、対立状態にある。

 こうしてみると、眼科医は美容クリニックが参入してきたりと、ほかの医療に比べると、どこか心もとない医療業界ではある。ーーー

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