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2015年6月7日

6646;「人間の食生活が直立2足歩行を可能にした」岩田誠先生のお話:聴講記

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以下が岩田誠先生講演の聴講メモです。 
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卒業後何年かは医科歯科大学神経解剖学の萬年教授のもとにいた。東京大学から女子医大に移り研究を進めたというお話。

◎本日のお話は「人間の食生活が直立2足歩行を可能にした」というお話。

サルは四肢が手になった。こうして樹上生活が出来た。
その中の人間は、直立2足歩行を始めた。
原人アウストラロピテクスの足跡は、完全な直立が可能だったことをを示している。
当時の脳容積は450MLだった。その後、原人の脳は大きくなり、1000mlを超えた。中でもネアンデルタール人なら1600mlで、今の人の1400mlよりも大きかった。.

○熱、重さ、消費カロリーの3点から人の脳を論ずる。
四つの手で歩くと、脳が地熱を拾う。一方立つと脳を空冷できる。
重力に対しても直立が有利。霊長類でも後頚筋に無理が掛るが、直立したヒトはそこが楽になっている。
道具の使用も立ったままできる。
それらの結果、その場で食べなくてよい。
だから定住化が可能になった。
調べてみると、石器も380万年前までさかのぼることが出来た。
この結果、ヒトは大きな動物の骨髄が食べられるようになったと。
例えば猛獣が食い尽くして残したインパラ一頭の大腿骨などの骨髄は1500カロリーの栄養が残されていた。ヒトはそれを摂取できたのだろう。

草食に換えたのものがパロントロプスであり、こちらは後に絶滅した。
一方、オーストラロピテクスは雑食で有ってこれが残った雑食種である。

○食事の質の検討
植物の葉は100、木の実や球根を200、動物質の肉を350とするとダイエタリーDQを計算できる。
ゴリラなど体重の大きい霊長類は草を食べる。対照的に人間は食物の質が良い。
こうして脳が全体の10%から25%のエネルギーを使う様に変わった。

ゴリラはいつも食べている。
消費するカロリーの量は臼歯の大きさと比例するという。
食事時間がパラントロプスでは40%、ヒトは5%程度に減ってきた。
食事に要する時間の減少には火の使用が関連しているのだろう。
という訳で分化が出来た。

農耕とは何か?栄養効率は栗やクルミが良い。果実も良好。
その結果、群れが拡大し集落を作る様になる。
また社会の階層化と、余剰穀物による経済活動も始まる。
それはさらに集落間の交流と争いを引き起こした。

縄文人は;米(陸稲)粟、稗、オオムギを食し
弥生人なら:米の他に雑穀も食した。豆が減りコメが増えた。
また、仏教伝来で獣肉食が出来なくなった。日常的には雑穀である。
このほか豆と魚肉で、コメはハレの食材であった。
当時の食事は2食。兵士と農民は3食である

◎過食とは
平安時代の官人の給与は米6合など。約3000カロリーを支給されていた。
「病の草紙」に肥満の人が出ている。
平安時代の貴族には「糖尿病」が多い。飲水病と記載されている。
しかし、平安時代の貴族の平均寿命は長く50歳を超えていた。

サルの実験で加齢関連死が普通食で多いが、制限食でも平均年齢は同じという話がある。

そこで脚気の話:倭健命、允恭天皇、家光なども脚気で死亡している。それは食生活の変化によるものである。
精白米が幕末に一般に普遍化した。大都市では多くの人が心臓脚気で死亡している。

遠田澄庵という医師がいて、明治天皇の主治医団にも加わっていた。明治天皇は和洋両方の良さを知っていた。

○軍隊で猛威を振るった脚気
高木兼寛 慈恵医大の元を築いた人
イギリス軍医James Lindは1747年、脚気の12人を6群に分け、標準食に1つずつの食物を加えてみた。
一方高木は副食を多くする工夫をした:彼の航海実験で脚気は⒑分の一に減らせた。
日清日露戦争では脚気による損害が戦死に匹敵するほど多かった。

小田原脚気事件は1988年の事である。小田原で脚気になった人を調べたら、米飯と魚食を止めた人に多かった。それは鉄道敷設で小田原の魚肉水揚げが減り、小田原での魚肉消費が減っていることに関連していた。

都築甚之助:バタビアでの調査で栄養説に変わった。
鈴木梅太郎:ビタミンB1=オリザニンを発見したが粗製だったのでノーベル賞には至らず。

◎米(こめ)文化の弊害
トンガの肥満、エチオピアの飢餓などを見る。
食は家族の社会的行動である:現在、食の社会行動としての意義の喪失が見られる。
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