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2015年5月10日

6539 誰をも少し好きになる日 眼めくり忘備録 鬼海 弘雄 (著)

無題今日の「眼」の本のご紹介

誰をも少し好きになる日 眼めくり忘備録 単行本 – 2015/2/23  鬼海 弘雄 (著)

アサヒに三浦しをんさん([評者]三浦しをん(作家) [掲載]2015年04月26日)の書評があったのですけれど、アマゾンを見たらkazさんの感想文が出ていました。(http://www.amazon.co.jp/review/R38DZ6PFQU6VP0/ref=cm_cr_dp_title?ie=UTF8&ASIN=4163902155&channel=detail-glance&nodeID=465392&store=books)

そちらを引用します。「本文によると、鬼海さんは実に22年に渡って浅草の同じ場所でほぼ同じポーズで、その「お姐さん」の無数の肖像写真を撮り続けた。その場所に行けばお姐さんに逢える、同じポーズで写真を撮らせてくれる。ズラリと並べられたお姐さんの写真を見た大抵の読み手は圧倒されるだろう。他の題材を撮った作品同様、写し手の濁りのない慈愛に満ちた眼差しを感じさせるのはこの一連のお姐さんの写真も同様である。
ただ、お姐さんがいつも立っていたのは浅草六区の交差点の所で、彼女はいわゆる「たちんぼ」だった。それがどういう職業というか生業であるのかを理解できない向きも多かろう。だが、著者の偏見のない撮り方書き方と矛盾しないように詳しく説明するのは難しい。
初めてのときにすでに50代か60代であったと思われるお姐さんが、その後も20年以上「立ち」続けていたというのは驚くべきことだ。

 ー中略ー

浅草のお姐さんも、亡くなった後、道行く人たちの多くがお姐さんの「立って」いた場所に花を手向けた。下町の人々の如何なる存在にも共に生きる同胞として注ぐ慈愛は、インドの辺境や古の山形の片田舎にならかつてあったが、今はノスタルジーの対象でしかないのかもしれない。
改めて圧巻の写真群を眺めてみると、20年に渡る「お姐さん」の表情は一貫して、乾いた実はどこか内に秘めたものは見せまいとする笑顔とも無表情とも、どちらともとり得る顔をしている。

その一連の顔の陰に、写真の撮し手さえもついに名を知り得なかった「お姐さん」の、内面に秘めた荒野を見てしまうのは私だけであろうか。」

清澤のコメント:この評論に惹かれてアマゾンで発注。この本を手にできたら私のコメントを追記することに致しましょう。

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