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2015年5月6日

6532:洲崎球場のポール際 プロ野球の「聖地」に輝いた一瞬の光

洲崎球場のポール際 プロ野球の「聖地」に輝いた一瞬の光
森田創

待っていた本がアマゾンから届きました。

沢村栄治がノーヒットノーランを演じ、川上哲治ら巨人「花の13年組」がデビュー、伝統の巨人・阪神戦がはじまった洲崎球場。球史から消えた「歴史の舞台」を追いかけろ。

その記載を順に追ってみよう。

○プロローグ:80年近く前、ここには「洲崎球場」があった。音を立てて軋むスタンドを埋めた下町のファンが、一枚5銭の貸座布団を放り投げ、芝居小屋を思わせる威勢のいい掛け声を飛ばした。戦争の足音が近づきつつも、好景気や東京五輪決定による時代の活気が球場内に充満していた。

 洲崎球場がプロ野球の舞台として活躍したのは昭和11年11月から昭和13年6月までのわずか1年7か月。それは日本が盧溝橋事件を経て日中戦争に突入する前の「最後の戦前」の日々だった。

 職業野球と蔑まれ、周囲の反対を押し切ってプロ野球入りした彼らは、戦争によって野球人生が絶たれることを予期していた。--悲壮な覚悟をもって白球を追った彼らにとってーー洲崎球場は束の間の晴れ舞台だったはずだ。

1st.イニング 洲崎散歩/明治から戦前にかけて洲崎は赤線と呼ばれる遊郭だったが、洲崎球場はそれよりも1キロほど東にあった。昭和44(1969)年貯木場機能が新木場に移転。昭和6年に日本初の機関車製造工場である汽車製造の工場が近くに移転し、アジア号などの機関車を作っていた。どこにも当時の面影はない。

2nd.イニング プロ野球誕生のタイムマシン/
昭和10(1935)年は明治維新以後の日本で、経済的にも文化的にも最高点に達した年。流行語のひとつが「流線型」。軍部や国家主義者の声が日増しに強まり、戦争の足音が忍び寄る。初のプロ野球球団は「芝浦協会」。東京6大学野球と中等学校野球が盛ん。そして昭和9年ベーブルース来日への熱狂が見られた。沢村栄治そしてスタルヒン

3rd.イニング 国民新聞と大東京軍/
大東京軍は警察OBを幹部に据えて球団の信用を得た。
選手は先行きの不安とプロ野球への世間の冷たい風にさらされた。球場の元地主は東京ガスだった。

4th.イニング 日本晴れに生まれたオンボロ球場/
東京朝日新聞と東京日日新聞は東京の西部で部数を伸ばし、下町で部数を伸ばしたのは読売新聞であった。読売社長の正力の口癖はエロ、グロ、ナンセンス=巨人軍。国民新聞は大東京軍の母体だった。昭和初期の洲崎は交通アクセスに恵まれていた。昭和15年の東京オリンピック招致運動も、開催を争ったヘルシンキよりも優勢が伝えられ、市民の期待はますます高まった。プロ野球専用球場としては上井草球場が少し先。洲崎球場の落成式は10月14日だった。

5th.イニング 初優勝を狙う沢村栄治とライバルたち/(以下準備中です)

6th.イニング 熱狂!師走の洲崎シリーズ/

7th.イニング 「伝統の一戦」、ここにはじまる/

8th.イニング 昭和12年の球春と残された時間/

9th.イニング 生と死のポール際

【著者情報】
森田創(モリタソウ)
1974(昭和49)年、神奈川県出身。99年、東京大学教養学部人文地理学科卒業。同年、電鉄会社に入社

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