お問い合わせ

03-5677-3930初診受付

ブログ

2015年5月5日

6530失明する病気、治らない…それでも人生を楽しむには

失明する病気、治らない…それでも人生を楽しむには
心療眼科医・若倉雅登のひとりごと :引用です

まずは概要を:

 正確な診断治療で病気が消失すれば、付随していた問題も一緒に氷解する。ところが、そのような疾患は実は少ない。それでも、病気や症状と折り合いをつけながら生きてゆこうという覚悟さえできればよい。しかし、治療法がないといわれては、眼も気持ちも暗くなるばかり。

 患者の懸念事項をひき出し、性格、理解度、生活への影響など諸因子を考慮しながら説き、これから病気や症状を抱えてゆく一人の人間の背を押してあげるだけのゆとりは、大学病院、一般病院ともなかなか見いだせないという現状。

 そこに際限なく力を入れ、予算と時間を投ずることは、検査、薬に重きを置く今の診療報酬の評価方法では不可能です。では、どうしたらいいか?

荒川さん(当清澤眼科医院ではこの若倉先生と荒川さんの趣旨に共感して「目と心の健康相談室」http://metokokoro.jimdo.com/の分室を設置しています。)

ーー本文全文の引用はここからーーー

 前回、疾病(病気)と、それに付随する自覚症状や不安、あるいは生活者としてのさまざまな問題があることを示しました。

 病医院は、診断と治療という臨床医学の根幹に対しては時間も人材も、予算も投じます。しかし、付随した諸問題への対応には、力を尽くしてこなかった現実があります。

 正確な診断治療で病気が消失すれば、付随していた問題も一緒に氷解します。ところが、そのような疾患は実は少なく、ほとんどは慢性に推移するものです。

 失明原因の上位を占めている網膜色素変性、緑内障などは、年齢とともに進行する性質があります。ぶどう膜炎や視神経炎のように、治療はできても後遺症が残るものもあります。また、症状は確かにあるけれども、病因がつかめず、病名がつけられないことも稀まれではありません。

 それでも、病気や症状と折り合いをつけながら生きてゆこうという覚悟さえできれば、よいのです。ただ、生身の人間に、そんな覚悟が簡単にできるものでしょうか。やはり、誰かの後押しや助言が必要です。

 最近経験した例を挙げてみましょう。

 見え方がだんだん悪くなってきたので、白内障が進んできたのだと思って近所の眼科にかかった82歳の女性。その医師は加齢黄斑変性だから、専門家のいる病院で注射治療を受けてくださいと、紹介状を書いてくれました。早速そこへ行くと、何日かかけて検査をした上で、治療法はありませんと帰されてしまったそうです。

 それなら仕方がないと、病気と共存しながら、これからの老後の人生を楽しむことができるでしょうか。

 そうはいきません。治療法がないなら、いつか失明してしまうに違いないと、毎日毎日、眼も気持ちも暗くなるばかり、人生を楽しむどころではありません。

 途方に暮れる彼女を見かねた友人が、もう一軒別の病院で話をしてみたらと、私どもの外来に来られたのでした。診断名も、治療不能という結果も、前医の見解と寸分の違いもありませんでした。

 私は、こう説明しました。

 「注射で治療をする加齢黄斑変性は、あなたの病型と違って、弱い血管がどんどんと増殖してしまうよくない性質たちのものです。だから、不幸中の幸いとも言えるのですよ」

 「そうなんですか。でも、いつ失明するのか、怖くて…」

 「失明といっても、見ようとする中心部分は段々と見えにくくなりますが、何年もかけてです。しかも、この病気で視野のまわりまで見えなくなることはないのです。まわりが見えれば、道を歩くことはできるのですよ」

 彼女の表情が、とたんに明るくなったのは言うまでもありません。

 自慢話をしたいのではありません。患者の懸念事項をひき出し、性格、理解度、生活への影響など諸因子を考慮しながら説き、これから病気や症状を抱えてゆく一人の人間の背を押してあげるだけのゆとりは、大学病院、一般病院ともなかなか見いだせないという現状を示したいのです。

 もちろん、誠実な対応をしようとしている医師が少なからずいるのは確かですが、そこに際限なく力を入れ、予算と時間を投ずることは、検査、薬に重きを置く今の診療報酬の評価方法では不可能です。

 では、どうしたらいいのでしょう。この話題は、さらに次に引き継ぐことに致します。

Categorised in: 未分類