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2015年4月29日

6507 清水寺の参拝記

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清水寺参拝

次に回ったのは清水寺。清水寺は法相宗系の寺院で、平安京遷都以前からの歴史をもつ寺院の1つ。稲荷から一駅戻って近鉄に乗り換え、清水4条まで移動。タクシーで山の中腹まで連れて行ってもらいました。
此処は、日本でも有数の観音霊場。古都京都の文化財としてユネスコ世界遺産に登録されています。

清水寺の宗旨は、当初は法相宗で、平安時代中期からは真言宗を兼宗。昭和40年(1965年)に当時の住職大西良慶が北法相宗を立宗して法相宗から独立。

創建伝承
宝亀9年(778年)、大和国興福寺の僧で子島寺で修行していた賢心(後に延鎮と改名)は、夢のお告げで北へ向かい、山城国愛宕郡八坂郷の東山、今の清水寺の地である音羽山に至った。そこには千手観音を念じ続けている行叡居士という白衣の修行者がいた。行叡居士は賢心に「自分はこれから東国へ旅立つので、後を頼む」と言い残し、去っていった。行叡は観音の化身であったと悟った賢心は、行叡が残していった霊木に千手観音像を刻み、行叡の旧庵に安置した。これが清水寺の始まりであるという。

鹿を捕えようとして音羽山に入り込んだ坂上田村麻呂は、修行中の賢心に出会った。彼に殺生の罪を説かれ、観音に帰依して観音像を祀るために自邸を本堂として寄進したという。この縁起により、清水寺では行叡を元祖、延鎮を開山、田村麻呂を本願と位置づけているという。現在の本堂は上記寛永6年の火災の後、寛永10年(1633年)、徳川家光の寄進により再建されたものである。

本日は、本堂舞台を参拝後に本堂舞台下にある音羽の滝で手を洗い、小休憩。途中から三寧坂の方に八坂の塔を目指して降りました。分かれ道のところに飯田屋という昆布屋さんが有ったので店主のお爺さんとちょっと話をしたら、祖先は長野県飯田の領主に差し出された皇居警護の北面の武士だったのだといういわれを伺いました。

調べてみると、中世までは八坂の塔(法観寺)を経て産寧坂(三年坂)を南方向へ上り、経書堂(きょうかくどう)のところで東へ折れるという今日の下山のルートが参道であったという事でした。

思い切って物事を決断することを「清水の舞台から飛び降りるつもりで」と言いますが、清水寺の古文書調査によれば、実際に飛び降りた人が1694年から1864年の間に234件 に上り、生存率は85.4パーセントであったという事です。
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