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2015年3月28日

6407:京都に1978年に盲唖院を作った人物、古河太四郎の生誕記念日

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京都に盲唖院を作った人物がこの古河太四郎 であったらしい。その生誕を記念したロゴが本日のグーグルを飾っている。私は日本の手話の仕組みを知らないが、盲人がすでに使っていたコミニュケーションの方法を基に、教育できる形に彼がその骨子を作ったのだそうである。視覚障碍者教育よりもむしろ彼は聾唖教育に功績があったようである。

古河太四郎 (ふるかわ たしろう、弘化2年2月20日(1845年3月27日) – 明治40年(1907年)12月26日)は、京都盲唖院(後の京都府立盲学校・京都府立聾学校:1878年に「京都盲唖院」として、日本で最初に設立された)を創設し、近代日本における視覚障害教育・聴覚障害教育の黎明期をリードした教育者。

1875年、彼が寺子屋の教師であった時代に聾唖の生徒が日常的に使用していた手話に着目し、体系的な機能を持つ言語としての教授用の手話を考察した。この際に考案された指文字のような表現方法を取る「手勢(しかた)法」が現在、標準手話として制定されている日本手話の原型となっている。

清澤の調査と注記
:ちなみに私が長年眼科の学校医を引き受けている筑波大学聴覚支援学校(=付属聾学校)(これは、筑波大学附属視覚特別支援学校(附属盲学校)とは別のものです)は、これより古かったのではないかと調べてみました。
明治8年、楽善会(らくぜんかい)ができた年を創立の年としている。楽善会は、日本にも盲学校や聾学校を作ろうという志をもった人たちの集まりで、その最初の会が開かれたのが5月22日であった。学校ができて生徒が入学するまで、それからまだ5年間の準備が必要であったが、1875年5月22日は私たちの学校の基礎(きそ)が出来た日と考え、創立記念日(そうりつきねんび)を5月22日とした。130年の間に学校の場所も名前も何度か変わってきたが、平成16年度から、この学校は国立大学法人筑波大学附属聾学校となり、国府台(こうのだい)のゆたかな自然環境(しぜんかんきょう)の中、新しい校舎(こうしゃ)で21世紀を元気に歩き出した。:ということで、学生の入学は京都の方が先だったらしいです。(:130周年記念式典の校長講話を参考にしました。)

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