お問い合わせ

03-5677-3930初診受付

ブログ

2015年3月15日

6364 シャンソンが流れる神楽坂を歩いて見ました。

緑内障の研究会のあとは、意見交換会もなかったので、帰りの地下鉄東西線を神楽坂で下り、神楽坂の町を歩いてみました。赤城神社あたりではアコーディオンのシャンソンが有線放送で控えめに流されていて、風情のある街並みが素敵でした。
 ここは丘という点ではモンパルナスよりもむしろモンマルトルの風情でしょうか?
 松井須磨子が島村抱月と演劇に励んだ<芸術倶楽部跡>もこのあたりにあったはずです
。昭和の風情がいっぱいの名もない定食屋さんに入って定食とビールをいただいてまいりました。


東京紅団(http://www.tokyo-kurenaidan.com/sumako.htm)から引用:「私は神楽坂への散歩の行きか帰りかには、大抵この横町を通るのを常としているが、その度毎に必ず思い出さずにいられないのは、かの芸術座の昔のことである。このせまい横町に、大正四年の秋はじめてあの緑色の木造の建物が建ち上った時や、トルストイの「闇の力」や有島武郎の「死とその前後」などの演ぜられた時の感激的な印銘は今もなおあざやかに胸に残っているが、それよりもかの島村抱月先生の寂しい傷ましい死や、須磨子の悲劇的な最期やを思い、更に島村先生晩年の生活や事業やをしのんでは、常に追憶の涙を新たにせざるを得ないのだ。」は昭和2年6月に加能作次郎によって「大東京繁昌記(山手編)」の”早稲田神楽坂”に書かれています。抱月の新劇運動の中心となる研究所が芸術倶楽部で、大正4年に建てられた二階建ての研究所は、日本の演劇近代化の母体となっています。大正3年 帝国劇場で須磨子の唱う「カチューシャの唄」は大ヒット。須磨子は一躍人気女優となります。しかしながら大正7年11月5日 島村抱月はスペイン風邪に罹りあっけなく亡くなってしまいます(享年48歳)。2カ月後、松井須磨子は抱月の後を追い此処で自殺します (享年34歳)。:
5bba507495c1dcd155efef43232dcf2c-610x467≪これは、芸術クラブの想像図だそうです)
(松井須磨子は長野県松代生まれの人で、私と同じ信州人です。「恋多き人」とも罵られますが、幾度かの不幸な結婚に破れ、たどり着いたのが此処だったのでしょう。長野県人らしい波乱万丈の生涯です。)

Categorised in: 未分類