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2015年3月11日

6350:1945年3月10日の空襲 (ミーティングハウス2号作戦)

§1945年3月10日の空襲 (ミーティングハウス2号作戦)(ウィキペディア)

Tokyo_kushu_1945-2
母子と思われる二つの遺体。子供を背負って逃げていたらしく、母親の背中が焦げていない(石川光陽撮影)

ミーティングハウス2号作戦と呼ばれた1945年3月10日の大空襲(下町大空襲)は、高度1600–2200メートル程度の超低高度・夜間・焼夷弾攻撃という新戦術が本格的に導入された初めての空襲だった。その目的は、木造家屋が多数密集する下町の市街地を、そこに散在する町工場もろとも焼き払うことにあった。

アメリカ軍の参加部隊は第73、第313、第314の三個航空団で、325機のB-29爆撃機が出撃した。各B-29には、通常の約2倍の搭載量である6トンもの高性能焼夷弾を搭載した。この空襲での爆弾の制御投下弾量は38万1300発、1783トンにものぼった。投下された爆弾、焼夷弾が、当時の日本家屋を焼き払うために最適化されたものだった。

また、「低空進入」と呼ばれる飛行法が初めて大規模に実戦導入された。この飛行法ではまず、先行するパス・ファインダー機(投下誘導機)によって超低空からエレクトロン焼夷弾が投弾、その閃光は攻撃区域を後続する本隊に伝える役割を果たした。その本隊の爆撃機編隊も通常より低空で侵入した上、発火点によって囲まれた領域に向けて集束焼夷弾E46を集中的に投弾した。

3月10日に日付が変わった直後の午前0時7分、爆撃が開始された。325機の出撃機のうち279機が第一目標の東京市街地への爆撃に成功し、0時7分に
第一目標 – 深川区(現在の江東区)
第二目標 – 本所区(現在の墨田区)
第三目標 – 浅草区(現在の台東区)
第四目標 – 日本橋区(現在の中央区)

へ初弾が投下されたのを皮切りに、城東区(現在の江東区)にも爆撃が開始された。

§使用爆弾

この爆撃において投下された爆弾の種類は、この作戦で威力を発揮した新型の集束焼夷弾E46 (M69) を中心とする油脂焼夷弾、黄燐焼夷弾やエレクトロン焼夷弾、ゼリー状のガソリンを約50センチメートルの筒状の容器に詰めたナパーム弾などである。この焼夷弾は、投下時には各容器が一つの束にまとめられており、投下後に空中で散弾のように各容器が分散するようにされていたため、「束ねる」という意味を込めて「クラスター焼夷弾」と呼ばれた。

§被害規模[編集]
当時の警視庁の調査での被害数は以下の通り。
死亡:8万3793人[4]
負傷者:4万918人
被災者:100万8005人
被災家屋:26万8358戸[4]

なお、この作戦におけるアメリカ側の損害は、撃墜・墜落が12機、撃破が42機だった。

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