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2015年3月4日

6334:アラビアのロレンスを見ました。

映画アラビアのロレンスを見ました。

 3時間45分もの長い映画でしたけれど、人間ドラマとしても、歴史としても、楽しめる作品でした。砂漠や海の映像も非常に美しい物でした。このロレンス等のトルコに対する戦いは、第一次世界大戦の一部だった訳ですが、その戦いでオスマントルコが没落して「トルコ支配下の平和が破壊された」ことが、今の中東の紛争の元ともなっているようです。ちなみにロレンスが手伝ったファイサル1世はこののち紆余曲折の末にイラク国王になっています。

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 ロレンスの側から歴史をたどってみると、1914年7月、第一次世界大戦が勃発し、イギリスも連合国の一員として参戦します。ロレンスは同年10月にイギリス陸軍省作戦部に勤務します。同年12月カイロの陸軍情報部に転属、アラビア語の語学力を活かして連絡係を務めます。

 1916年10月には、外務省管轄下のアラブ局に転属。休暇にアラビア半島へ旅行しましたが、オスマン帝国に対するアラブの反乱の指導者を選定する非公式任務があったとされています。

 ロレンスはハーシム家当主の三男ファイサル・イブン・フサインと接触。ロレンスはファイサル1世とその配下のゲリラ部隊に目をつけます。ロレンスは、戦略的に重要で、陸側からの防御が十分でなかったアカバをゲリラ奇襲し、陥落させました。この行軍の苦労が映画には詳細に描かれています。(これが、映画の前半部分の山場です)

images ロレンスは、ゲリラ戦でヒジャーズ鉄道を破壊する戦略をとります。ヒジャーズ鉄道はトルコの支配下にドイツの資本と技術(ドイツ銀行とシーメンス社)でアラビア半島西側に南に向けて建設されていた鉄道で、未到達だでしたがメッカにに向かうもの。現在その大半は放棄され存在しません。この反復襲撃によりロレンスの思惑通り、オスマン帝国軍はヒジャーズの中心であるメッカへの侵攻をあきらめ、メディナと鉄道沿線の拠点を専守することになった。さらに1918年、ロレンスは北上し(現在はシリアの首都である)ダマスカスのトルコからの奪取占領に重要な役割を果たす。(これが映画後半の山場です)
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 第一次大戦終結後、ロレンスはファイサル1世の調査団の一員としてパリ講和会議に出席しています。1921年1月からは、植民地省中東局・アラブ問題の顧問として同省大臣のウィンストン・チャーチルの下で働いていました。

 映画の中では、そのころからロレンスはアラブにもイギリスにも大きすぎて邪魔な存在になって排斥されるのが描かれています。しかし史実では彼は、様々な活動をしようとしたようで、1935年の除隊までイギリス領インド帝国やイギリス国内で勤務した。

 除隊から二ヶ月後の1935年5月13日、ロレンスはブラフ・シューペリア社製の大型オートバイを運転中、事故を起こして、6日後に46歳で死去します。あらゆる面で、彼の一生は毀誉褒貶の多い人生だった模様です。この映画の最初は、この事故と葬儀場面から始まっているのもそれを象徴してのことだそうです。

 ロレンスの死後、オスマン帝国はトルコ民族国家のトルコ共和国となり、エジプト、シリア、イラク、アラビア半島、マグリブを放棄した。これらのアラブ地域は、西欧諸国の植民地となった後、人工的な国境線を決められ独立を果たしたが、4世紀の間続いた「オスマン帝国の平和」は崩れ、現在に至るまで政治的混乱が続いている。

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