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2014年11月22日

6043 解体新書を読む―翻訳の成り立ちを中心に 酒井シヅ先生 を聞きました

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解体新書を読む―翻訳の成り立ちを中心に 酒井シヅ先生 を聞きました

酒井シヅ 順天堂大学特任教授

酒井先生は「解体新書 講談社新書」(新装版 解体新書 講談社学術文庫1998/8/10)を執筆されていますがこれが素晴らしくこなれた現代語になっている。先日のNHKででは先生が順天堂大学に天皇陛下を案内する姿があった。優れた日本医学史の研究者であり日仏医学会「秋の夕べ」の演者にお招きしたと紹介されました。

酒井先生のお話:

先生は従来、あまりフランスとは縁がなく、オランダ、ドイツ、アメリカに関連した日本の医学の歴史が得意だそうです。

今回の本の執筆にあたって、杉田玄白の解体新書の現代語訳への翻訳について、ドイツ語の原本と照らし合わせて読んでみたのだそうです。原本と照らしてみれば、杉田訳には誤訳が多かったそうです。しかしわかりやすい翻訳でもあったそうです。
 
杉田玄白、前野良沢の両者が翻訳にあたったとされますが、前野良沢の名前は本の初めには出てきていないそうです。

翻訳は、一語一語訳者が参集して訳してゆき、わからぬところは残したようです。そして、持ち帰った後でなんと11回も、訳しなおしていました。その結果、日本語としてわかりやすくなっています。

翻訳って何か?を考えます。

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解体新書ができた背景として、:
序図、序文(吉雄耕牛)と自序と凡例があります。
有名な扉絵は原著にはなく、(アダムとイブに見えますが)どこから持ってきたのかが謎です。豊富な解剖図は巻ノ1から始まっています。

まず序文について:「オランダは学問技術的に優れている。上は天文学、そして医学も、それを見て、思いがけない思いをしない人はいないだろう。オランダは幕府に長崎入皆とを許されて、数百年になる。吉野は代々オランダ語通詞を務めてきたが、前野良沢は立派な弟子であって、吉雄について語学を勉学してきた。前野は伝授した語学を駆使し、そして友人を連れては訪ねてきて翻訳の疑問点を聞いた。その結果としてターフェル・アナトミアができた。」と書いてある。前野の名前はそこにしかない。

この本は、1704年に原著が出ていて、1774年に邦訳が出版されている、著者は杉田良沢 翼訳とされていて、他に何人かの協力者の名前があるが、著者名の中に、前野良沢の名前はない。それは、帰り道の福岡天満宮にお参りした時に、良い翻訳ができることを神に願って自分の名前を出すことを捨てたともいう。また別説では、翻訳の稚拙さを恥じたからであるともいう。しかしこのカップルの組み合わせで、解体新書ができたのは事実だ。

しかし、後の大槻玄沢の改訂版においては。吉雄耕牛の序文を払ってしまっている。

1、翻訳の仕方は?次の6つの点を明らかにしたという。
1)骨節、
2)キリール(今でいう腺glandのこと)
3)神経 (初めての神経という単語は此処で作られた)
4)脈道(心臓を中心とした、血管系のこと)
5)内蔵(心、肺などと漢方の言葉を流用する)
6)諸筋の集会(この概念も従来の漢方にはない)

2、扉絵は元本にはない
本の中の絵と単語に対応がある。そして、図の横にあるマークはターヘルアナトミアではなく、トーマスの本からの図であることを示すものである。当時世界で最高のもので有ったベサリウスの解剖図からも図を取っている。

3)翻訳には3つのやり方がある
1、直訳(キリールなど――腺のことをそのままの単語で言い表す)、
2、義訳(軟骨)、
3、翻訳(すでにそれらしき訳語がある場合)

内臓は翻訳できる。胃、腸、心、肺など漢方での五臓六腑に臓を付けた。しかし概念が少し違うことがある。たとえば、筋(きん)――筋肉にした時に筋(すじ)とのずれがある。

○神経とは何か?初めて作られた単語である
○膜;薄く広く包むもの
○バンド:薄くて骨や筋を結び付けるもの
○キリール:(血液中から水分を分泌して管で外に出す。)グランド(いつから腺となったか?:)一番大きいキリールは膵。つまり、杉田版では膵臓は大キリールであり、のちの時代に別の本で宇田川源信が膵臓と呼んだ。
○血液循環、門脈もその理解はむつかしい、
○横隔膜、
○手の腱膜の図は;カスパルやビードルの別の本の図を使っていた。

○頭が蔵するものは脳なりという:「意識」(これは仏教の用語を解剖に持ち込んだものである)の腑なりとしている。「頭にくるという概念」は明治以後のものであった。

後に改訂版を出した大槻玄沢は、この杉田本を大きくは変えてはいない。(記憶があるから考えるときに上を見る。忘れたときに頭を叩くから記憶は頭だとも馬鹿げたことも言っている。)

全世界を見まわして、ターヘルアナトミアはあの時代のポピュラーな本であった。
ーーー
清澤のQ1:神経が伝えるという概念はあったのか?
A1:すでに明白にあった。
Q2:目や耳の記載は?:
A2:丁寧に書いてある

追加のお話、
1543年のベサリウス(ラテン語)が最も詳しい傑出した代表的解剖学署である。ターヘルアナトミアは1720年の初心者向け本である。

シーボルトが日本に来た時には、宇田川玄真の簡易版の「医範提網(「和蘭内景医範提網」)」がよく流布していたようだ。これは2万円くらいでの古本市で出るくらいのものである。

十字とかクルスという単語を避けるなどの点を見ると、幕府からの発禁には注意していたようだ。

「蘭学事始め」も見たら?との聴衆への座長コメント。

清澤の思い:
名前を残した人と、名前はのこらなかったが実際に作業をしたと言われる人がいたという話。翻訳は実は仏教用語なども援用して、日本語の医学用語を創出する作業であったというお話。さらには、後になっての改訂版では、前版の前書きを消してはまずいというお話。そして、あの本は単なるターヘルアナトミアの翻訳ではなく、当時の世界の代表的解剖学書をまとめて、解体新書と呼んだ本であったという点。などなど、大変奥の深いお話でした。
酒井先生の現代語への翻訳も購入してみましょう。
400px-Anatomia_del_corpo_humano_1(ワルエルダの解剖書は、日本に伝わり、江戸の『解体新書』の扉絵は、ワルエルダの解剖書のオランダ語版の扉絵を模写して改変したという説が有力ともいう)

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