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2014年11月1日

5,975 信長協奏曲 ⑩ 天正3から4年のサマリーです。

信長協奏曲 ⑩ 天正3から4年のサマリーです。
信長協奏曲10
信長協奏曲 ⑩ サマリーです。

第51話 戦いの後:天正元年、戦いとは浅い朝倉討伐。市が茶々らを連れて岐阜に戻ってきた。

第52話 家康君がやってきた:「己の器を見極めてこそ初めて真の対象たるのだと身をもって知り申した」と。天正2年、武田軍が動き始める。明智城包囲。高天神城落城。

第53話 目撃…:天正3年信長は河内に侵攻、三好康永を降伏させる。武田勝頼軍は1万5千、長篠城を包囲。

第54話 長篠の戦い①:家康に援軍を頼まれた信長は3万の兵、3000挺の鉄砲をもって、長篠に向かう。織田軍3万、徳川軍8千。三河・設楽ヶ原に着陣。織田君は馬防柵を築く。

第55話 長篠の戦い②:天正3年5月20日、武田軍は織田・徳川軍の目の前2.2KMに布陣。武田軍長篠城攻めの拠点鳶ヶ巣山砦を酒井忠次が別働隊4千で奇襲。柵を築き、鉄砲を並べまともにぶつからぬことで武田の強さを潰した。この戦で数多くの名だたる武将を失った武田家はこの後、衰退の一途をたどってゆく。

第56話 天守:天正3年8月、信長は越前出陣。一向一揆を鎮圧。天正4年安土築城開始。

清澤のコメント:浅井・朝倉両家を滅ぼした後、織田・徳川連合軍は武田家を倒し、安土城築城を始めた。歴史の流れは激しく、その展開は早い。

高天神城:「高天神を制するものは遠州を制する」といわれた要衝。現在の地名としては掛川に近い。戦国時代に徳川・武田の両雄が攻防戦を繰り広げた決戦場で、東海一の堅塁を誇った山城。標高132メートルの鶴翁山の地形を巧みに活かした高天神城は「難攻不落の名城」と呼ばれていましたが、家康の兵糧攻めに遭い落城しました。:とのこと

また、この掛川という地名は関ヶ原合戦の直前に出てきます。一豊は下野国小山における軍議(いわゆる「小山評定」)で諸将が東軍西軍への去就に迷う中、真っ先に自分の居城である掛川城を家康に提供する旨を発言し家康の歓心を買っています。

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