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2014年9月15日

5830:山口淑子さんが他界されました。夜来香です。


山口淑子さんが他界されました。戦中と戦後の雰囲気を非常に強くお持ちの方だったと記憶しています。日本と中国の関係が微妙になっている時期ですが、日中のむつかしい時代を生きた山口淑子さんはさぞ心を痛めておいでであったことであろうと推察いたします。謹んでご冥福をお祈りいたします。

日本語歌詞:佐伯孝夫(1950)
唄:山口淑子(李 香蘭)
1
あわれ春風に  嘆くうぐいすよ
月に切なくも  匂う夜来香  この香りよ

長き夜の泪  唄ううぐいすよ
恋の夢消えて  残る夜来香  この夜来香

夜来香 白い花  夜来香恋の花
ああ 胸痛く  唄かなし

2
あわれ春風に  嘆くうぐいすよ
つきぬ想い出の  花は夜来香  恋の夜来香

あわれ春風に  嘆くうぐいすよ
つきぬ想い出の  花は夜来香  恋の夜来香

夜来香  夜来香  夜来香

ウィキペディアによれば、亡くなった山口淑子氏は松本女学校にも在籍したことのある「東洋のマタハリ」とも呼ばれた川島芳子とも親交があったという事です。愛新覚羅家の王女で日本人大陸浪人であった川品浪速の養女になっていて、1848年に刑死したという川島芳子の墓は、松本市の火葬場の近くの城山墓地にあり、偶然ですが訪ねたことがあります。

「1937年7月末に天津が日本軍に占領されると、川島芳子は同地で料亭「東興楼」を経営し、女将になった。

芳子は東興楼時代に知人の紹介で知り合った李香蘭を実の妹のように可愛がり、「ヨコちゃん(芳子がつけた李の愛称。彼女の本名の読みが同じ「よしこ」であったため)」「お兄ちゃん」と呼び合うほど親しい間柄となった。しかししばらく後に、芳子の悪評を耳にした李の関係者が東興楼への出入りを禁じたため、芳子と李の間に交流があったのはごく短い期間であった。これについて李香蘭は自著の中で、軽い気持ちで東興楼へ足を運んだところマネージャーに厳しく叱られ、そしてある時期を境に芳子もよそよそしい態度を取るようになり、会いにくくなったと述べている。その後、李の元へ芳子から直筆の手紙が届き、そこには「ヨコちゃん、すっかり君も大スターになったな。もう君と会うことは無いだろう。君は自分の好きなこと、信じることだけをやりなさい」「僕のようになってはいけない。今の僕を見てみろ。利用されるだけされて、ゴミのように捨てられる人間がここにいる」と記されていたという。李香蘭は「普段の芳子はプライドが高い厳格な人物であり、心の中にある本音を語るにはこうした方法(手紙)をとるしか無かったのではないか」と述懐している。

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