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2014年9月5日

5792:米国で自分の職業が嫌になる医者が多い理由:という記事

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米国で自分の職業が嫌になる医者が多い理由:という記事(2014 年 9 月 1 日 17:32 JST 更新)がWSJの日本語版に出ています。

そういえばなんだか日本でも不機嫌な医師が増えているような気がします。「今日も一人でも多くの患者さんに来てほしい、明日は一人でも多くの患者さんに良くなったことを喜んでほしい」というモチベーションを持ち続けられていますか?という問題です。幸いなことに、私はまだそんなモチベーションをもって日々の診療にあたることができています。

最近驚いたことがありました。日々多くの手術をこなし、ずいぶん光り輝いていると思っていた後輩が「日々の手術や診療がつらい」と言ったのです。もしかしたら「自分の職業が嫌になる」というのは、日本の医師にも当てはまるのかもしれないと思いつつこの記事を読みました。

記事の要点だけを纏めますからどうか元記事に戻って読んでみてください。

清澤のまとめた要点

 私は決してこうはなるまいと考えていた医者になってしまっている。同僚の多くが同じ悩みを持ち、職業上の理想を失った。米国の医師はかつての地位を失っている。20世紀半ば、就きたい職業として医師ほどに崇高で報いのある職業はなかった。

 今日、医師は不安と不満を持ち、将来に懸念を抱いている。大多数の医師は医療に対する熱意を失い、医師になるのを勧めない。08年の調査では、職業にやりがいを持っていると答えた医師はわずか6%。大半はペーパーワークのせいで患者との時間が十分に取れず、半数近くが向こう3年で患者数を減らすか、診察自体をやめると述べた。最近では、不必要な幾つもの検査が強要される。医師は病院運営者のマネーゲームの人質になった。

 20世紀半ば、医学上の功績によって寿命は急激に伸びた。テレビの中でも医師は、ヒーローだった。この時期の医師たちは概して出来高払い制で繁盛していた。

 1965年に高齢者のセーフティーネットとしてメディケア(高齢者向け医療保険)が導入されると、医師たちの給与は増え、1970年までに25万ドル近くにまで増えた。これは平均的な世帯所得の6倍。1970年以降、医療保険のシステムの1つである健康維持機構(HMO)が支持され、料金を統制し、支出を定額にする形が推進された。1981年までには、医師になることを強く推奨できないと答えた医師が半数に達した。

 患者に必要な医療の内容を決定してコストを抑制するマネージドケアが伸び、2000年代初頭までに保険に加入する労働者の95%がマネージドケアプランに入った。001年の調査で、医師の58%が過去5年間に医療への熱意が薄れたと述べ、最近では医師の30~40%がもう一度選択できるなら医師は選ばないと答えた。

 医者たちが幻滅する理由は、マネージドケア以外にも多い。患者と十分な時間が過ごせない医師が増えた。医学の進歩は、かつては死に至る病だったものを、慢性疾患に変えた。一方、給与は医師の期待ほど伸びていない。

 今日の患者が医療に支払う金額が増えているが、それを提供する医師などに向かう金額は少なくなった。自費患者にのみ診療する医師もいる。

 複雑な支払い制度のため、医者たちは長時間を書類に費やす。医療過誤に備えた保険料はうなぎ登りだ。医師は不足し、一部の地域ではほとんど受診予約が不可能だ。多くのかかりつけの医師が、患者を覚えてすらいない。医師の思いやりに欠けた発言もよくある。

無題 燃え尽きそうな医師を救える方策は?。表彰制度も一案。患者に医師を評価させるのもいい。報酬の支払いは、治療への対価という現在の形ではなく総額支払い方式に変えなければならない。医師は技量に応じた支払いを受けられる。医師はビジネス的になり薄れてしまった患者との人間的な関係を取り戻さなければならない。自分にとって何が重要で、何を信じ、何のために戦うかを明確にすることだ。
ーーー要旨終了ーーーー

ーー引用開始ーーー
 私は最近、どうしたらある患者が診察を受けに来るのをやめさせられるかと診察室の出入り口のそばでそわそわ考えていることが余りに多いことに気付いた。半ばに差し掛かったキャリアを振り返ると、自分が多くの点で、決してこうはなるまいと考えていた医者になってしまっていることを実感する。せっかちで無関心なことが多く、素っ気なく、偉そうなときもあるような医者だ。私の同僚の多くが同じような悩みを持ち、職業上の理想を失っている。

回答した1万2000人の内科医のうち医師という職業にやりがいを持っていると答えたのは6%だけだった Getty Images

 私はミッドライフ・クライシス(中年の危機)に見舞われているだけなのかもしれない。だが、私には医師という職業自体が中年の危機のようなものに見舞われている気がしてならない。米国の医師はかつて享受していた地位を失っている。20世紀半ば、医師はコミュニティーの中心的な存在だった。賢くて、誠実で、意欲にあふれていて、クラスでトップの成績ならば、就きたい職業として医師ほどに崇高で報いのある職業は他になかった。

 今日の医師は1つの職業に過ぎず、医師は普通の人になってしまった。不安と不満を持ち、将来に懸念を抱いている。調査によると、大多数の医師は医療に対する熱意を失ったと述べ、友人や家族に医師になるのを勧めないと話している。1万2000人を対象に行った08年の調査では、職業にやりがいを持っていると答えた医師はわずか6%にとどまった。84%は収入が横ばい、ないし減っていると答えた。大半はペーパーワークのせいで患者との時間が十分に取れないと答えたほか、半数近くが向こう3年で診る患者数を減らすか、診察自体をやめると述べた。

 米国の医師は集合的マレーズ(不快感)に苦しんでいる。われわれはそれに抵抗し、自らを犠牲にしているが、一体何のためにそうしているのか。われわれの多くにとって、医師は単なる職業の1つに過ぎなくなっているというのに。

 こうした姿勢は医師にとって問題なだけではない。患者にも悪影響を及ぼす。

 ある医師が、医師のオンラインコミュニティー「Sermo」に打ち明けた内容をみてみよう。このコミュニティーには27万人以上の医師が登録する。

 「私はもうやらない。これはお金とは関係ない。私は患者からも、同僚の医師からも、病院の運営者からもほとんど尊敬されていない。正しい臨床的判断、ハードワーク、それに患者への思いやりをもってしてもだ。

 最近の救急治療室では、不必要な幾つもの検査が強要されている(なんと全員がCT検査を受ける!)。これが必要ないことは分かっているし、カネの無駄遣いなことも分かっている。私は病院運営者のマネーゲームの人質になった気分だ。私が医師以外で収入を得て、満足を得る方法は他にたくさんあったはずだ。悲しいことに、価値があって高貴な職だと思ったから医師を選んだのに、私の短いキャリアから判断する限り、そうした医療の姿は偽りだったということだ」

 ではなぜ、こうなってしまったのだろう。

 20世紀半ばの平穏な時期は、米国医学界にとっても黄金期だった。寿命は急激に伸び、1940年の65歳が70年には71歳になった。ポリオワクチンや心肺バイパスといった医学上の功績によって支えられた結果だ。医師たちはおおむね、自分で診察時間と料金を決めていた。テレビの中で医師は、ポジティブに描かれることが多く、ヒーローのように扱われることさえあった。

 この時期の医師たちは概して、自らの置かれている状況に満足していた。彼らは出来高払い制のモデルで大いに繁盛していた。出来高払い制とは、患者が自費ないし民間の保険を通じて費用をカバーするという仕組みだ。医師たちは患者の支払い能力を基に料金を決められたため、慈善事業家のような存在だった。彼らは官僚的なヒエラルキーに従属していなかった。

 1965年に高齢者のセーフティーネットとしてメディケア(高齢者向け医療保険)が導入されると、医師たちの給与は実際には増えた。医療を求める人が増えたからだ。1940年の米国の医師の収入の中間値は、インフレ調整後のベースで約5万ドルだったが、1970年までに25万ドル近くにまで増えた。これは平均的な世帯所得の6倍近くの金額だ。

 しかし、医師が豊かになるに伴い、医療制度からカネをむさぼっていると見られるようになった。米国経済が拡大するにつれ、医療費も急増した。一方で、無駄遣いや詐欺の報告が相次いだ。1974年に行われた議会の調査では、外科医が240万件の無駄な手術を行い、40億ドル近くのコストが生じたほか、1万2000人近くが死亡したとされた。ニューヘイブン郡医師会は1969年、医師たちに対し、「金の卵を産むガチョウの首を絞めるのをやめる」よう警告している。

 医師に患者を管理させるのがまずいとなると、誰かが代わりにそれをやらなくてはならなくなった。1970年以降、医療保険のシステムの1つである健康維持機構(HMO)が支持され、料金を統制し、支出を定額にするという新しい医療の形が推進された。

 メディケアや民間の保険と異なり、この仕組みによって医師たち自身が支出過剰の責任を負うことになった。その他の医療費を削減するためのメカニズムも導入された。患者によるコスト負担の導入、保険会社による医療サービスの審査といったことだ。こうしてHMOの時代が始まった。

 1973年の時点では、正しいキャリア選択をしたかどうか疑いを持つ医師の比率は15%に満たなかった。しかし、1981年までには、医師になることを10年前と同じように強く推奨できないと答えた医師が半数に達するようになった。

 一般人の医師に対する見方も大きく変化した。医師は手放しで称賛される存在ではなくなった。テレビ番組では、医師が人間的に欠点があり、傷つきやすくて、職業的にも個人的にも過ちを犯しがちな存在として描かれるようになった。

 保険会社などが患者に必要な医療の内容を決定してコストを抑制するマネージドケアが伸びる(2000年代初頭までに保険に加入する労働者の95%はなんらかのマネージドケアプランに入った)につれ、医師への信頼感は低下していった。2001年の調査で、質問に回答した医師約2000人のうち58%が過去5年間に医療への熱意が薄れたと述べ、87%が全体の士気が下がったと答えた。より最近の調査によると、現役の医師の30~40%は、もう一度キャリア選択ができるとしたら、医師の道を選ばないだろうと答えた。そして、子供に医師のキャリアを追求することを薦めないと答えた医師の比率はもっと多かった。

 医者たちが幻滅する理由は、マネージドケア以外にもたくさんある。医療の進歩による意図せぬ結果の1つは、患者と十分な時間が過ごせない医師が増えたことだ。医学の進歩は、かつては死に至る病―がん、エイズ(後天性免疫不全症候群)、鬱血性心不全―だったものを、長期的な管理が必要な、複雑な慢性疾患に変えた。医師が持つ診断・治療の選択肢も増えたため、幾つもの検査やその他の予防的サービスを提供する必要が出てきた。

 一方、給与は医師の期待ほど伸びていない。1970年の総合診療医の収入はインフレ調整後ベースで18万5000ドルだったが、2010年の収入は16万1000ドルにとどまった。医師が1日に診る患者の数は2倍近くに増えているにもかかわらず、である。

 今日の患者が医療に支払う金額が増えていることに間違いないが、それを提供する医師などに向かう金額は少なくなっている。2002年に医学誌「アカデミック・メディシン」に掲載された記事によると、患者が最初に診察してもらうかかりつけ医の教育投資に対するリターンは、労働時間の差を調整すると、1時間当たり6ドル未満と、弁護士の11ドルを下回っている。このため、一部には、保険会社による割引のない自費で料金を支払える患者にのみ医療を提供する医師もいる。

 複雑な支払い制度の問題もある。医者たちは1日に平均1時間、年間で8万3000ドルを保険会社の書類のために費やす。カナダの医師の4倍だ。その上、訴訟の怖さも忘れてはならない。医療過誤に備えた保険料はうなぎ登りだ。チェスにたとえるならば医師は保険会社と政府の間の無力な歩兵に過ぎなくなってしまった。

 医師の不満は患者にも深刻な影響を及ぼしている。まずは医師不足だ。特にかかりつけ医は、全ての科の中で最も医療保険による支払いが少額で、おそらく最も不満がたまっている。かかりつけ医に予約を入れようとしてみればわかる。一部の地域ではほとんど不可能だ。特に老人病が問題だ。

 医療制度に失望を感じる患者が増えていることも深刻だ。かつて患者は「わたしの先生」といった言い方をしたものだ。しかし多くのかかりつけの医師が、患者一人一人に適切な治療を施すどころか患者を覚えてすらいない。

 医師が患者に対する思いやりに欠けた発言もよくある。以前、CTスキャンのための造影剤によって腎不全を起こした患者を担当したことがあった。回診の時、彼はわたしに、腎臓の専門医に回復の見込みを尋ねたときのことを話してくれた。患者の質問に対し、その医師は「どういう意味ですか」と問い返し、患者が「わたしの腎臓は良くなるのでしょうかとお聞きしたんです」と質問を繰り返したら、「いつから透析をやっているんですか」と聞き、「2、3日です」と患者が答えたら、専門医は少し考えて「ダメでしょう」と言ったというのだ。

 「『ダメでしょう』、こうですよ」と、その患者はすすり泣いた。

 もちろん、今の時代、不幸なのは医師だけではない。弁護士や教師も、事務処理に忙殺され、社会的地位や尊敬も得られなくなっている。

 ではどうしたら燃え尽きそうな医師を救えるだろうか。医療には幾つもの成功の指標がある。表彰制度を設けるのも一案だ。外科医の手術による死亡率や内科の再入院比率といった数字を公表するのは最初の一歩としていいだろう。または患者に医師を評価させるのもいい。私の病院の内科医は患者とのコミュニケーション術や患者と過ごす時間などの基準に基づき四半期に1度、成績表を受け取っている。

 また報酬の支払いは、治療への対価という現在の形ではなく総額支払い方式に変えなければならない。これは医師らがグループで総額を受け取り、それを分配する仕組みだ。これによって医師は技量に応じた支払いを受けられる。また患者を健康にすることへのはげみになるだろう。

 医師は大量の患者を診察すればよいというのではなく、ビジネス的になり薄れてしまった患者との人間的な関係を取り戻さなければならない。多くの医師は、不満の多い医師も含め、この仕事のいいところは人々の世話をすることだと言う。私は、これこそが現代社会の医師のストレスに対処するカギだと思う。自分にとって何が重要で、何を信じ、何のために戦うかを明確にすることだ。

 医師にとって最も重要なのは人間的な時間だ。医療は人々が弱っているときに人々の世話をすることだ。こうした人間的な時間があるからこそ、弁護士や銀行家がわれわれをうらやむのだ。結局、こうした気持ちを抱けるようにすることこそが、医師という職業を救う最も有効な方法だ。

(注)Sandeep博士は米ロングアイランド・ジューイッシュ医療センターの心臓疾患プログラムディレクター。このエッセーは、同博士の新著「Doctored: The Disillusionment of an American Physician」からの抜粋である。
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