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2014年8月18日

5730:前橋で富岡製糸所と絹産業遺産群の紹介ビデオを見ました。

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前橋での学会の時間つなぎに上映された「富岡製糸所と絹産業遺産群」の紹介ビデオ(2013年作)を見せていただきました。わたくしの先祖も製糸産業に従事していましたのでとても興味深く拝見しました。昔から座繰り製糸は行われていたのですが、富岡製糸所の建設は生糸生産を大規模な工業に変え、国の基幹産業にしてゆくきっかけになったと考えられます。

なお、現在、富岡製糸所は片倉工業の所有になっておりますが、片倉工業はもともとは諏訪の片倉組であり、片倉組は松本にも大きな製糸工場を所有していました。官営の工場の払い下げをいずれかの時期に受けたものと考えられます。

注:調査してみました。富岡製糸所の片倉時代 ウィキペヂアから抄出

株式会社富岡製糸所は当時、日本最大級の繊維企業であった片倉に合併されることになり、株主総会での合意を経て、1939年(昭和14年)4月29日に公告された。この実質的に原が片倉に委任した一連の経緯に関し、原側は片倉以外には「この由緒ある工場を永遠に存置せしむる」委任先が存在しないという認識を示していた。原富太郎は後継者を失った中で自身の高齢についても懸念を抱いていたとされるが、富岡製糸所が片倉に合併されたこの年に没している。片倉は古くから富岡製糸所の経営に意欲を持っていたとされている。

この歴史遺産は4つの建物群から構成されています。

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1)富岡製糸所
此処には東と西の繭倉庫、女子職員宿舎、フランス人等男性技師宿舎、鉄製水用タンク、繭を煮る熱源ともなる6基のボイラー、そしてトラス構造を持つ広くて明るい操糸場には多数の自動操糸機がありました。明治5年建設。

田島弥平旧宅2)田島弥平旧宅:清涼育という蚕育法の実践場所です:自然の風通し、越屋根(屋根の上に空気抜きのある構造)、研修生、以後の蚕室のモデル、蚕の品種改良、蚕種の改良、この旧宅は昭和30年まで養蚕に使用された。

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3)高山社(たかやましゃ);清温育、2階に蚕室をおく。開口部がおおい、高山長五郎、明治24年建築。

imagesXK8YG6MZ4)荒船風穴:これは蚕種貯蔵用施設、3度の冷風を利用し、土蔵構造であった。この遺産に今は石組み跡が残るばかり、蚕の卵の返る時期を調節して年に何回も育てられるようにした。種紙に産み付けた蚕種を保存した。庭屋清太郎、蚕種貯蔵の依頼を受けた。

群馬絹遺産というものがある。県が登録を受け付けている。
横浜港錦絵に見るように明治政府は日本の命運を生糸に託した、
富岡製糸所:フランスの機械製糸技術を導入した。

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