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2014年8月14日

5717:東北は貧しかった/二・二六事件青年将校遺族:の記事です

5617:東北は貧しかった/二・二六事件青年将校遺族:の記事です
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希望を奪う政治今も/(上)東北は貧しかった/二・二六事件青年将校遺族 波多江さん99歳:河北新報の記事です。

古い写真を見ながら、兄が生きた時代を語る波多江さん=弘前市の自宅

対馬勝雄中尉

 日本人だけで約310万人が亡くなった太平洋戦争の終結から69回目の8月15日が来る。再び戦闘参加に道を開きかねない集団的自衛権の行使容認が閣議決定され、歴史の岐路に立つわたしたちは戦争からいま何を学び、次代に伝えればいいか。二・二六事件青年将校の遺族で軍靴の時代の語り部、弘前市の99歳の波多江たまさんに聞いた。(編集委員・寺島英弥)

<波多江さんは、1936年に起きた二・二六事件に参加し、処刑された青森市出身の対馬勝雄中尉の妹。軍部から「国賊の家」とされ、沈黙を強いられた。「兄の真実を明かしたい」と91年、遺稿・回想集「邦刀遺文」を家族と自費出版した。>

 -対馬中尉は、どんな時代に生きたのですか。

 「誰もが貧しかった。家は青森市の浜の新開地にあり、小作の次男の父がバラックで魚屋をしました。学校には弁当すら持たない子ばかり。兄は中学校の月謝を払えぬ苦しい家のため、父に黙って仙台陸軍幼年学校を受験し合格しました。負担を掛けず出世する道を選んだのでしょう」

 「満州事変(1931年)が起き、兄は弘前の歩兵31連隊の将校として大陸に出征しました。初めての部下は、岩手県の農村出身の兵隊50人。当時は凶作続き(30~34年の『昭和東北大凶作』)で昭和三陸大津波(33年)もありました。東北の農家は疲弊し、担い手を軍隊に取られ、娘を身売りさせるような状況でした」

 -今回の大震災のような復興支援どころか、農村から国が人を奪う「人災」の観もありますね。

 「戦地の兄から父に、身欠きにしん、するめ、お汁粉など食料を『50人分寄こしてほしい。金は送る』との手紙がしょっちゅう届きました。部下の腹を満たしてやりたかったのでしょう。お金に困れば貸してやり、戦死者があれば、遺族の暮らし向きも思いやる額の香典を送る。兄の給料はいつも残らなかったようで、借金までしていました」

 「兄は、部下が郷里とやりとりする郵便を検閲する職務もありました。その内容をつづった、兄の手紙が残っています」

<ある兵隊は妹が死んでもそのしらせが家から来ずに新聞で葬式も出せないでいゐのが分かって泣いてゐたそうです。家では知らせるにも参銭切手をかう金がないのださうで(原文のまま)>

 -部下たちが抱える悲しさ、つらさを、自身の苦悩にしてしまったのですか。

 「二・二六事件の決起に兄が参加したのは、農村の貧しさを救いたい思いが大半だったでしょう。わたしも当時、家に仕送りをする若いお手伝いさんから聞いた話があります。『父親が早く死んでくれたらいい』と言うので、訳を尋ねると、『戦地から兄が負傷して帰ったのに、父は怒っていた。戦死してくれたら遺族にお金が下りたろう、と』」

 「びっくりしました。でも、戦争の陰で誰も批判の声を上げられませんでした。今、若者の多くが非正規雇用や職のない境遇に苦しみ、希望をなくしています。大企業ばかり潤わせて、広がる貧しさをほったらかしにする政治は、あのころと似ています。声を上げてほしい」

[二・二六事件] 1936(昭和11)年2月26日未明、陸軍の将校、兵士ら約1500人が首相官邸などを襲い、高橋是清蔵相、斎藤実内大臣らを暗殺した。東北の農村疲弊などを背景に「国家改造・昭和維新」を訴えたが鎮圧され、20人が処刑された。対馬勝雄中尉の話は「二・二六事件に殉じた兄よ 七十余年の時を越えて」(『津軽学』4号)参照。
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清澤のコメント:
 部下思いで国を思ったからと言ってクーデターを起こしても良いという話にはなりませんけれど、二・二六事件というのは部下思い、国を思う気持ちが強いというような思考過程から生まれたものではあったということでしょう。
 読んでみたくなり『津軽学』4号をアマゾンで発注しました。

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