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2014年5月2日

5405 新田次郎の“怒る富士”を数日かけて読んでいます

無題
新田次郎の“怒る富士”を数日かけて読んでいます。読んで見て驚いたのですが、行政全般の無責任さは原子力発電所の事故で放射能汚染を受けた福島県の現状とあまりに似ています。当時の幕府が武士課した救恤金は禄高100石につき2両という事で今回の震災復興税に重なります。個々の担当者や政治家にその意識は無いのでしょうが、人の不幸を政争の具としか考えていないのは、現代そのままです。この小説を詳らかに読めば、今回の震災で儲けを出すにはどうしたらよいのかがわかりそうな気がするような鬼気迫る小説です。関東郡代伊奈半左衛門忠順の志を持つ人は今の日本には輩出できないものでしょうか?
お勧め度:★★★★/5

ーーー伊奈町見聞記の記事(http://homer.pro.tok2.com/sub18-18(7kanntougunndai-inatadanobufuji).htm)抜粋ーーー
宝永4年11月22日午後10時富士山が噴火。江戸幕府は生類憐みの令で知られる5代将軍綱吉の時代で、側用人から大老になっていた柳沢吉保が実権を握り、勘定奉行は萩原重秀での時代。富士山麓の足柄上郡、足柄下郡、駿河国駿東郡は小田原藩老中大久保加賀守忠増が領していた。そこでは噴火に因り火山灰が積もる甚大な被害が出ていた。火山の噴火は山焼と呼ばれた。

被害は甚大で宝永5年正月7日駿東郡59ヶ村は人の住めぬ亡所とされ、相模国足柄上郡69ヶ村、足柄下郡45ヶ村他4ヶ村は幕府に公収された。其処には関東郡代伊奈半左衛門が派遣された。半左衛門は酒匂川の改修工事を命じられた。半左衛門は餓民を救うため幕府の米を可能な限り配給した。当時幕府は大名武士階級に救恤金を課した。それは禄高100石につき2両という負担だったが、その多くは財政逼迫していた幕府の穴埋めに使われた。宝永5年6月には梅雨期の大雨で大口堰、岩流瀬堤などが流され甚大な被害が出た。

宝永6年1月10日徳川綱吉は死去。家宣が6代将軍になり、側近の間部越前守詮房と新井白石の時代になった。翌、正徳元年7月の台風で酒匂川の土手が切れ足柄平野は再び泥沼に埋まり村民は貧困を極めた。

正徳元年半左衛門は駿府郡代能勢権兵衛に蔵米を回送させた。それを指示する書状は紛失され、伊奈半左衛門など関係者に嫌疑がかかった。正徳2年2月29日伊奈半左衛門は釈明せず切腹した。駿東郡の人々の間では伊奈半左衛門がお蔵米を無断で駿東郡の民に配給した責任を取って切腹したと信じられた。

新田次郎“怒る富士”の初出は、「静岡新聞」他に昭和47年3月1日から同48年2月8日まで連載

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