お問い合わせ

03-5677-3930初診受付

ブログ

2014年3月23日

5278 諸葛孔明と孟獲の七縱七禽の事

images9X1CLSOI(映画レッドクリフにおける曹操)
土曜日の夜、NHKのBS2でやっていたのが「古代中国 よみがえる伝説「曹操と孔明 ~乱世の英雄・知られざる素顔~」という番組です。

古代中国の英雄たち。中国では当時の遺跡が次々に発掘され、英雄たちの実像が新たな形で明らかになってき得いるのだそうです、BSプレミアムの歴史シリーズ「古代中国 よみがえる伝説」は、そんな古代中国の歴史の現場を紹介しています。

(⇒この時代の流れは「解説三国志」を見ると良く解ります。)

登場する英雄たちとは、この1本目が「曹操と孔明」。三国志でよく知られた魏の皇帝で悪役の曹操と、蜀の劉備を支えた名軍師の諸葛孔明です。
imagesK2559PPX(同じく映画レッドクリフ赤壁における諸葛孔明)
番組後半の「諸葛孔明」の紹介の部分で紹介されたのが雲南の英雄である孟獲とその後の蜀の北伐の時に築かれた桟道でした。日本では卑弥呼が活躍していたころのことですが、魏誌倭人伝にわずかに東方の海の中の小島として紹介されているくらいの時代の話です。

孟獲は蜀漢の時代の人。御史中丞にまで成っています。

孟獲(もう かく、生没年不詳)は、中国三国時代の人物。簡単に述べれば、南中の豪族で。蜀漢の南征を受けて帰順したという事になります。

その生涯は、『華陽国志』や『三国志』裴注に引く諸書に散見され、『華陽国志』「南中志」と『蜀志』諸葛亮伝によると、建寧郡出身。雍闓が蜀漢に対して反乱を起こした際に、雍闓の命を受けて南中(現在の雲南省周辺、または南方のミャンマー北部)の者達に蜀漢に対して反乱を起こすように説得して回った。

225年、諸葛亮が南征して来ると周りの人間は雍闓を殺し、孟獲を擁立した。孟獲は諸葛亮の前に何度にも亘り捕まるが、その度に放された。諸葛亮は仮に武力でこの地を征服しても、蜀漢軍が撤退すれば、いずれ反乱が再発する事を予見していたので、現地の人達を心服させるために、このような処置を採ったといわれている。孟獲は七度目に放された時、ついに諸葛亮に心服し蜀漢への帰順を誓ったという(七縱七禽)。

やがて225年秋9月に、諸葛亮が滇池(てんち)に到達し、この頃に南中四郡は平定された。現地の住民は老若男女を問わずに、土豪の焦・雍・婁・爨・孟・量・毛・李氏の支配下に置かれた。そこで諸葛亮はその中から勇敢な若者を抜擢した。建寧郡の爨習(さんしゅう)・朱提郡の孟琰(もうたん)らが、孟獲の推挙によって官吏として召し出されたという。後に孟獲は功績を立てて御史中丞まで昇進した。さらに、李恢・爨習と共に建寧郡の名士として称えられている。

裴松之が『漢晋春秋』・『襄陽記』などの書物から引用した部分に孟獲の名が記されてあり、『漢晋春秋』には七縱七禽の逸話などがあるそうです。(ウィキペディアより)
ーーーーーーーー

Categorised in: 未分類