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2014年3月12日

5250:3月10日の昼休みに東京大空襲・戦災資料センターに行ってきました

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3月10日の昼休みに東京大空襲・戦災資料センターを初めて見に行ってきました。
写真は河野新さん制作の母子像。

IMG_11262階は行講堂になっていて、「寒い夜に」「祈り・光へ(鎮魂)」「椰子の実」「さとうきび畑」。ハープ(八木健一)とシンセサイザー(八木ゆみ子)、それに喜納兼徳さんというテノール歌手の方の歌を交えての小音楽会が開かれていました。老人の多い聴衆40人ほどでしたが、良い音楽会でした。

)空襲の番組です
そのあとは、先日引用したNHKの番組の短縮版も上映されていました。ヤシの実は島崎藤村の詞なのですが、戦争中のNHKラジオで流されていた曲という意味もあるそうです。
火災で広がった熱風は地を覆い、逃げ出した人々は炭化した死体となって路上に残されていたそうです。あまりの暑さに川に飛び込んだ人々も、酸素欠乏のため窒息して多くは溺死したそうで、引き上げても引き上げても翌朝にはまた死体がこのあたりの川面を覆い尽くしたそうです。

IMG_1127この地図は埋葬者の数を書き込んだもので、その3階展示室に掲示されていました。この辺りでは南から須崎病院(1164)、東陽公園(1415)、東陽町の交差点東近くの空き地(3686)、区役所あたりの空き地(859)、そして清州橋通りと明治通り交差点脇の寺院(2865体)などに数千人規模で仮埋葬が行われ、総数は10万人ということでした。その木場から東陽町は真っ先に空襲が始まった第一爆撃目標に指定されていて、3月10日の12時07分に爆撃が始まっていました。明治通りの東は民家が少なかったようです。
 

IMG_1124お昼前に視野系の調子を見に来てくれた眼科機械屋さんのOさんにお願いして、高速道路入口に回るところをちょっと回り道してこのあたりで下していただきました。降りた近くにはこのような小さなお稲荷さんもあるのですが、なかなか見つけるのが大変な場所です。

IMG_1125自転車屋さんで道を聞き、そして見つけたのがこの古びた標識。この清洲橋通りは人通りも少なく、帰りは流しのタクシーをやっと見つけて午後の診療前に戻ることができました。帰りのタクシーの運転手さんも空襲のときは母親に抱かれて逃げて助かったという方でしたが、荒川の東だったそうで、そちらの地区の死者は1000人程度です。荒川の東には空襲はあまり広がってはいません。

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