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2013年12月15日

5003 「ドナルド・キーンの東京下町日記 沖縄戦の日系米兵」と言う記事です

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ネット版東京新聞に「ドナルド・キーンの東京下町日記 沖縄戦の日系米兵」と言う記事が出ています。日本人に対する暖かな眼を感じます。知日派のドナルド・キーンさんが数年前に日本に居を移されたのは聞いて居ましたが、今も元気でご活躍のようで何よりです。
 世の中がきな臭くなっています。米国を鬼畜米英と呼び、戦に敗れてからは米国を自由の宣教師と崇め立て、そしてやがて東南アジアにおける帝国主義的資本主義の宗主国と嫌って、今また中国に対峙するための同盟国と言う見方が強まっています。
 しかし、米国民の本質も日本国民の本質も変わってはいないはず。今後も仲良く
お付き合いをして行きたいものです。

ーネット記事の部分的な引用ー 「沖縄上陸はよく覚えている。日本軍は南部に戦力を集中していて、私たちは何の攻撃も受けずに読谷村に上陸した。その一週間後だった。陸軍の第九六歩兵師団が通訳士官を求めていた。海軍の通訳士官だった私が志願すると、十人ほどの日系人の通訳を部下につけられた。その一人がジローだった。

 ジローは両親が沖縄出身で移民先のハワイで生まれた。家族の都合で幼少年期を沖縄で過ごし、十六歳で再びハワイへ。七十二年前の今月七日(現地時間)は、ホノルルで皿洗いのアルバイトをしていた。日本軍の真珠湾攻撃の爆音が耳に届き「今日の演習は派手だな」と思っていたそうだ。ーーー

 英語はうまくなかったジローだが、日本人を「ジャップ」とさげすんで呼び、米兵が好む簡単な常とう句をしたり顔で使い、妙に陽気に振る舞っていた。当時、ハワイで日系人は肩身が狭く、その中でも沖縄出身者は下に見られていた。必要以上に米国人を装ったのだろう。だが、ジローが尋問した捕虜には小学校時代の恩師や同級生がいて、こっそり厚遇したそうだ。「米兵のジロー」には「沖縄の武二郎」が隠れていたのだ。ーーー

立ち寄った平和祈念公園の石碑「平和の礎(いしじ)」には二十万人余りの戦没者の名前が刻まれていた。ジローやオカの友人、知人もいただろう。その一人一人に、まだ知られぬ物語があるのだ。(日本文学研究者)

ーーー本文の引用開始ーーーー
ドナルド・キーンの東京下町日記 沖縄戦の日系米兵

2013年12月15日 07時10分

「初期消火」の訓練をするドナルド・キーンさん=11月17日、東京都北区の区防災センターで(伊藤遼撮影)

写真

 ホノルルから航空便が届いた。一九四五年四月、米軍の沖縄上陸作戦に私が参加した時の部下からだった。「ジロー」と呼ばれた日系二世の比嘉武二郎。私より一つ年下の九十歳からの手紙には元気な近況がつづられ 「Aloha from Hawaii」とあった。枯れ葉舞う東京に届いたハワイからのそよ風に、ほおがゆるんだ。

 沖縄上陸はよく覚えている。日本軍は南部に戦力を集中していて、私たちは何の攻撃も受けずに読谷村に上陸した。その一週間後だった。陸軍の第九六歩兵師団が通訳士官を求めていた。海軍の通訳士官だった私が志願すると、十人ほどの日系人の通訳を部下につけられた。その一人がジローだった。

 ジローは両親が沖縄出身で移民先のハワイで生まれた。家族の都合で幼少年期を沖縄で過ごし、十六歳で再びハワイへ。七十二年前の今月七日(現地時間)は、ホノルルで皿洗いのアルバイトをしていた。日本軍の真珠湾攻撃の爆音が耳に届き「今日の演習は派手だな」と思っていたそうだ。

 私は沖縄で方言が分からず苦労した。その点、完璧だったジローがある日「伯母の家でお昼を食べよう」と誘ってきた。何の気なしに応じたが、不思議な体験だった。日米が交戦する最前線からほんの数キロ離れた日本人民家で、私たち米兵が歓待されたのだ。無理して準備してくれただろう食事はありがたくいただいた。ただ、吸い物だけは口に合わず、飲み干すのに冷や汗が出た。お代わりを勧められて困惑したことは、忘れられない思い出だ。最後に一つだけ覚えた方言で「クワッチーサビタン(ごちそうさま)」。

 英語はうまくなかったジローだが、日本人を「ジャップ」とさげすんで呼び、米兵が好む簡単な常とう句をしたり顔で使い、妙に陽気に振る舞っていた。当時、ハワイで日系人は肩身が狭く、その中でも沖縄出身者は下に見られていた。必要以上に米国人を装ったのだろう。だが、ジローが尋問した捕虜には小学校時代の恩師や同級生がいて、こっそり厚遇したそうだ。「米兵のジロー」には「沖縄の武二郎」が隠れていたのだ。

 ジローのような日系人の元米兵は少なくない。ハワイの海軍基地で私と一緒だった日系二世のドン・オカは七人兄弟で、そのうち五人は米兵、二人は日本兵として世界大戦に出征した。オカと日本兵の弟は同時期にサイパンにいて、弟はそこで戦死した。九十三歳のオカはロサンゼルスの老人施設にいる。

 最近、米国で日系人兵士を再評価する動きがあると聞いた。二〇一一年には、ジローら陸軍情報部の元兵士と、欧州戦線での戦闘で有名な日系志願兵部隊、陸軍第四四二連隊の元兵士らに、最も権威のある勲章の一つの議会金章が授与された。同連隊の元兵士で昨年、亡くなった上院議会の重鎮、ダニエル・イノウエには先月、文民最高位の大統領自由勲章も贈られた。

 ちょうど一年前、私は沖縄を訪ねた。立ち寄った平和祈念公園の石碑「平和の礎(いしじ)」には二十万人余りの戦没者の名前が刻まれていた。ジローやオカの友人、知人もいただろう。その一人一人に、まだ知られぬ物語があるのだ。(日本文学研究者)

(東京新聞)

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