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2013年12月7日

4972 東京浅草の雷門大提灯 張り替え新調:いったい幾人が眼にしたことだろう:

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東京浅草の雷門大提灯 張り替え新調 パナソニック12.06 18:07

年の瀬が迫り、雷門の大提灯も10年ぶりに松下幸之助の名前で張替が行われたそうです。縁が結ばれ半世紀、肩摺りながら雷門をくぐる人の波は今日も絶えない。門と大提灯に刻まれた松下幸之助と松下電器の名を、いったい幾人が眼にしたことだろう。という訳で、今日の眼の話題です。松下幸之助さんが御存命中に臨済宗妙心寺派の信徒だということを聞いた気が致しましたが、この記事には特に私はコメントはありません。
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10年に一度、大提灯の修復が行われている雷門

 2013年11月18日、パナソニックが奉納している東京浅草の雷門の大提灯の張り替え新調が完成し、奉納懸吊式が行われた。「パナソニックと雷門の縁」「伝統を今に伝える日本の技」を、雷門再建当時の映像を交えて紹介している。雷門は、1865年(慶応元年)に火災により焼失した。

 パナソニック創業者の松下幸之助氏が、1960年に再建。それと同時に大提灯の奉納を行って以来、10年に一度、大提灯の修復が行われている。大提灯は、高さ3・9メートル重さ700kg。同社は、『パナソニックと雷門の縁に思いを馳せていただけると幸い』としている。大提灯の銘板は、今も「松下電器産業 松下幸之助」である。産経関西子も、はじめて目にしたとき驚き、「関西の企業がどうして?」と思った記憶がある。雷門を通るときは、いつも確かめて通ってきた。ほんとに不思議な縁である。

「縁が結ばれ半世紀、肩摺りながら雷門をくぐる人の波は今日も絶えない。門と大提灯に刻まれた松下幸之助と松下電器の名を、いったい幾人が眼にしたことだろう。」
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<コラム>
これぞ昭和の雷門~門の再建と松下幸之助創業者~

「はや目の前に十二階、雷門より下り立てば、ここ浅草の観世音、詣ずる人は肩を擦る」

これは明治に流行った、東京名所を路面電車でめぐる『電車唱歌』の一節だが、実はその頃、繁華の地としての雷門は知られていても、門そのものは慶応元年(1865)の火事で焼け落ち、幻となっていた。それが蘇り、明治、大正と続いた「門なき雷門」に終止符が打たれたのは、昭和35年(1960)のこと。再建に力を添えたのは松下幸之助創業者であった。

再び浅草に雷門を!こうした機運の高まった昭和33年(1958)暮、時の浅草寺貫首、清水谷恭順大僧正は上京中の創業者を訪ね、「雷門を建ててください」と浅草の声を伝えた。創業者はしばし黙考の後、おもむろに口を開き、「寄進させていただきます。が、なるべく名は出さないでください」と返答した。

翌昭和34年(1959)5月、いよいよ再建工事が始まった。一年後、昭和の雷門は完成し、歌川広重らの錦絵に見る往時の荘厳華麗が見事再現された。5月3日の開通式に招かれた創業者は、「こういうものは縁ではないですか。縁がなければいいものはできませんな」と語り、喜びを隠さなかった。

縁が結ばれ半世紀、肩摺りながら雷門をくぐる人の波は今日も絶えない。門と大提灯に刻まれた松下幸之助と松下電器の名を、いったい幾人が眼にしたことだろう。

~社史室・松下幸之助歴史館 編~

脚注;浅草寺とは、東京都台東区浅草二丁目にある東京都内最古の寺である。山号は金龍山。本尊は聖観音菩薩。元は天台宗に属していたが第二次世界大戦後独立し、聖観音宗の総本山となった。観音菩薩を本尊とすることから「浅草観音」あるいは「浅草の観音様」と通称され、広く親しまれている。(wikipediaから)

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