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2013年12月1日

4950 『赤色スパイ団の全貌 ゾルゲ事件』福田太郎訳、東西南北社刊、1953年

4950 『赤色スパイ団の全貌 ゾルゲ事件』福田太郎訳、東西南北社刊、1953年
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『赤色スパイ団の全貌 ゾルゲ事件』福田太郎訳、東西南北社刊、1953年 が届きました。質の悪いぼそぼした紙質で、私が生まれた1953年出版の本です。特定機密保護法が可決されようとする今、前回の戦争前に日本で問題になった特定機密の保持がどのように侵され、またどのようなことが行われたのかを直接の資料に当たって読み直してみるのは意味のないことではないと思ったからです。これは私が特定秘密保護法を必要とするという認識に至ったということではありません。
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その内容は、戦争直前に摘発されたゾルゲと尾崎秀実らによるロシアスパイ事件を戦後の占領軍として再発掘した報告書です。元題は「シャンハイ謀略」だったようです。SHANGHAI CONSPIRACY; THE SORGE SPY RING by MAJOR GNERAL CHARLES A. WILLOUGHBY その解説はこれから準備しますが、この本の解説によれば、

「ゾルゲは当初、ドイツ共産党に属し、その後ソ連共産党へ移り、コミンテルンから赤軍第四部へと移籍している。しかし、コミンテルンとの濃厚な接触はその後も続き、上海でのアグネス・スメドレーや尾崎秀実らとの関係が紹介されている。モスクワからの指示で活動拠点を上海から東京へ移し、ゾルゲは尾崎秀実という極めて有用な協力者を得て、日本の動向を探ることに成功する。
 ゾルゲはあくまでも情報収集・分析、報告という任務であったようだが、一方、コミンテルンの一員としての理想に燃える尾崎秀実は日本を北進から南進へ転換させ、対米英戦へ誘導する事によりレーニンの砕氷船理論及びそれに続く敗戦革命を企図し、近衛文麿公の側近として積極工作を遂行していったという点で、或いはゾルゲ以上の存在ではなかったかと思われる。そしてその結果、日本国民は300万人以上が死亡し、日本国土は焦土と化し、満州、台湾などの外地を失ったのである。

 本書で注目すべきは、このゾルゲ・尾崎スパイリングが東京に留まらず、上海、ニューヨークとも連動し、それらがモスクワからコントロールされていた、ということである。第二次世界大戦、大東亜戦争にばかり関心が向きがちであるが、実は大戦中に既に冷戦は始まっていた、ということである。これに対して自由主義陣営、西側は反ファシストの為に容共政策を敷いたが、その結果、西側諸国は深くソ連・コミンテルンに浸透され、インテリジェンスにおいて甚大な損害を蒙り遅れを取ることになったのである。」

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著者のチャールズ・アンドリュー・ウィロビー(Charles Andrew Willoughby, 1892年3月8日-1972年10月25日)はアメリカ陸軍の軍人。第二次世界大戦下においてはダグラス・マッカーサー将軍の情報参謀で、戦後は連合国軍最高司令官総司令部参謀第2部 (G2) 部長。反共主義者。

第二次世界大戦までの経歴

ウィロビーは1892年3月8日にドイツハイデルベルクにてドイツ人の父 と、アメリカ人でメリーランド州ボルチモア出身の母エマ・ウィロビーの間に生まれる。幼少はドイツ人としてハイデルベルク大学卒業後にアメリカ人に帰化。

1910年にアメリカ陸軍に一兵士として入隊。1941年に大佐だったウィロビーはダグラス・マッカーサーの情報参謀としてフィリピンに赴任。

第二次世界大戦

第二次世界大戦中の日本軍とのフィリピン攻略戦で日本軍に敗走したマッカーサーと共にフィリピンから脱出。
情報を重視するマッカーサーによって連合軍翻訳通信班 (ATIS) (捕虜の尋問や命令文章の翻訳を担当)、連合軍諜報局 (AIB) (諜報・謀略担当)が設置されるとウィロビーは元締めとして辣腕をふるった。

GHQでの活動

GHQでは参謀第2部 (G2) 部長として諜報・保安・検閲(特にプレスコード)を管轄。労働組合活動を奨励し日本の民主化を推進する民政局長のコートニー・ホイットニー准将を敵視し、縄張り争いを繰り広げた。

極東国際軍事裁判の折、A級戦犯の容疑者は第一次裁判で裁かれた東條英機ら28名の他に22名ほどいたが、この裁判をよく思っていなかったウィロビーの釈放要求が通り、22名の容疑者に対する二次・三次の裁判は行われなかった。アメリカの方針が変わり、共産主義国家台頭に対して日本を防波堤に使おうと考えたこも影響している。判決後、「日本がおかれていた状況と同じ状況に置かれたのなら、アメリカも日本と同様に戦争に出たに違いないと思う」と、語っている。

「ロッキード事件」の最中に変死した福田太郎を、自著(上記の本)の翻訳者にするなど、児玉とも何らかの関係にあったと推測されている。

1950年の朝鮮戦争の際にウィロビーは「中国共産党軍(中国人民志願軍)は介入しない」と中華人民共和国参戦の可能性を否定したが、これは全くの誤認であった。
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