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2013年11月24日

4931 絶望から始まる患者力 読書印象記 その2

4931 絶望から始まる患者力 読書印象記 その2
第2部です

何時もの私の分析法で、「若倉先生の絶望から始まる患者力」の解析を続けましょう。
本書でも、若倉先生は患者さんに渾身の共感をもちつつ、卓越した見識で診療に当たる様子を見せてくれています。若倉流神経眼科の真髄をご堪能ください。

41sR1x4ExdL__SL500_AA300_前書き:不治の眼病を得た人が教えてくれること
眼科医は、想定外の病を得て命を落とすわけではないが両眼の視力を失う患者に遭遇する。「皆それぞれ余人をもって代えがたい貴重な物語を持っている。」の続きです。第一部では最初の3節を読み下しました。
1、プライドを捨てて
2、扉を開けるのは自らの手で
3、死んでも、受容なんてしない

学会やその移動で、記載が遅くなってしまいましたが、今日は

4、マングローブの森からよみがえる  ユニバーサルデザイナーへの転身:からです。海外に留学した日本人恋人との距離が遠くなり、オーストラリア人の恋人を得たカナさんは、オーストラリアで思わぬ交通事故で瀕死の重傷、非開放性頭部外傷を負ってしまいます。(清澤注:これに遭うとびまん性軸索損傷ディフーズアクソナルインジュリーを発症し、脳幹と左右の大脳半球を結ぶ交叉線維カローザルファイバーがひどくやられてしまいます。⇒関連記事にリンク)事故後、夢を見ているように感じたのはそのためでしょう。此処で、若倉先生は「障害を低く見積もりたい」日本の行政の姿勢を指摘します。白杖を持って歩いても突き飛ばされるのが日本です。彼女は自分の麻痺性斜視を覆うデザイン眼帯開発します。そしてホームページを立ち上げ、実費での制作依頼を引き受けるのです。
 その先で若倉先生は、ご自身が名誉院長に引かれたことにも触れ、「若い人には、通常、自分の主治医が齢を重ね、やがては引退してゆくという想定はほとんどない。ーー年齢が上がってくると、時間が如何に重要かを常時意識するようになる」と述壊しています。そして若倉先生は東海光学と共同して、外見上もほとんどわからない眼鏡眼帯オクルアを開発したということです。

5、サリン事件からの出発 テロと健康被害
1995年3月20日、地下鉄駅構内毒物使用多数殺人事件、地下鉄サリン事件である。目や資格に関する訴えが、何年たっても残っている人もその被害者には多いという。あの日、銀座の小松診療所で診療をした私、清澤も。ひどい縮瞳は10人ほど見、医科歯科大学にお送りしたのを思い出します。しかし、その後のことは知りませんでした。若倉先生はそこで「心因性」という名の落とし穴を指摘します。多くの臨床医はまぶしさなどの症状に対して、「心因性」と言ったとたんなぜか、その症例に対して医師としての興味を失ってしまうと喝破しています。そして「心因性は化け物か、キツネツキか」と怒ります。そして若倉先生はこの患者さんに化学物質過敏症と眼瞼痙攣の診断を見出すのです。しかもその眼瞼けいれんは元のサリンによるものではなく、内科医に処方された「デパス」という「軽い」とされる向精神薬が関与していたというので、何をかいわんやの世界です。咲絵さんは「日本はおめでたい国、日本人はおめでたい民族だと思う」と、語っています。それは原発事故に対する対応とも同じではないかと。

6、「明朝、死んでいればいいのに」と想いながら、それでも生きてゆく
これも凄しいタイトルです。中学生のある日、すでに、網膜色素変性と言う病名がつけられていた。それからはや20年、今は白杖なしでは歩けない。結婚をし、身体障碍者の申請をするに至る。障碍者雇用枠と言うものはこのような人にとって果たして有効なのか?若倉先生は「障碍者のための手引」というパンフレットを井上眼科病院で作らせた。そして、眼の相談室も設置させたという。彼女が次に直面したのはパニック発作。それでも彼女は針灸マッサージ師を目指す。そして、「この3年は人生で一番勉強した」というそうです。いま、裕美さんは個人IT企業のマッサージ士として働いている。
最後に若倉先生は障碍(正しい)か?障害(謝った日本語)か?と言うお話に及ぶ。「簡便にするために日本語を捻じ曲げてしまった。、、日本人の国民性がこういうことに無神経とは考えたくないが、、」と居たいところをちくりと突く。

本日見ますと、加茂純子先生がアマゾンにこの本の書評を載せています。
そちらもぜひご覧ください。「すべての眼科医と突然視力を失った方が読むべき 2013/11/22 このようなヒントが与えられる医師となりたい。」(⇒この書評にリンク

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