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2013年7月17日

4571 この夏「陸軍登戸研究所」なる映画が封切

無題(映画のポスター)

この夏「陸軍登戸研究所」なる映画が封切られるそうです。偽札を作って中国にばらまき、経済的な混乱を興そうとした話や、風船爆弾を作って米国に山火事を興そうとした話などは聞いたことがありますが、その全貌はどの程度このドキュメンタリーで明らかにされるのでしょうか?今辺りが戦争を知る最後の世代が消えゆこうとする時期であることは間違いありますまい

35057_01_l(風船爆弾)
米国でも原爆を作った秘密の閉鎖研究都市があったわけですが、日本の陸軍研究所もそれと比肩する程度に高度な研究が出来ていたのでしょうか?
終戦記念日が近づくとこの様な戦争回顧ものの映画が出てきますが、私はその雰囲気は好きです。しかし、このような絶望的な戦を始めた事は正当化できませんし、あの時こうしていたら勝てたかもしれないといって見せることは国力の差を考えれば愚かなことではあるわけでしょう。

2010年3月29日、明治大学生田キャンパス内に資料館開館。「36号棟」の建物をそのまま資料館として利用しており、当時の貴重な資料や解体された棟のドア、柱などの建築部材が展示されている。水 – 土曜日の10:00より開館、16:00閉館

映画の解説より引用

秘密兵器の開発拠点としてさまざまな実験が行われ、敗戦後に証拠隠滅のため歴史から抹消された陸軍登戸研究所の真相に迫ったドキュメンタリー。第1次大戦直後から密かに行われていた毒ガス兵器や諜報、防諜などに対応する資材、兵器の開発研究の流れを受け、1937年、神奈川県川崎市生田の丘陵地に陸軍の実験場が設立される。実験場はのちに「陸軍第九技術研究所」(秘匿名:登戸研究所)となり、太平洋戦争による戦乱の拡大で、最盛期には1000人に及ぶ所員が殺人光線、生体実験、毒物・爆薬の開発、風船爆弾、ニセ札製造など、多岐にわたる研究に携わったと言われる。戦後、歴史から存在が抹消された研究所で何が行われていたのか、6年に及ぶ歳月をかけてその謎を追い、当時を知る関係者らの証言を得て、全貌を明らかにする。

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