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2013年2月23日

4092 夜はまだあけぬか (梅棹忠夫)を読みました

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4092 夜はまだあけぬか (梅棹忠夫)を読みま終えました
64歳で突然両眼の失明。それにもめげず、著作を続けた著者の手記です。

[夜はまだ明けぬか]各章を追ってみますと
○退院まで:
研究のためモンゴルを訪れた直後に著者は下人不明の視神経炎を発症し、ステロイドパルス療法や高圧酸素療法を大阪大学医学部で当時の福田講師や真鍋教授のもとで受けますが視力は回復しませんでした。移転前の阪大病棟の劣悪な環境なども述べられています。
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○見えないなりの知的生産:
病院から外出して民俗博物館に出勤するなど視力がないという条件にも敗けずに、無理を押しながら民族学博物館館長としての職務を続けます。

○薄明をいきる:
大阪大学医学部付属病院での入院生活は7か月であった。他人が家様には「心眼」はひらけぬまま、耳を澄ます。

○音楽にいそしむ:
著者は音楽という面から文化を理解しようと試みます。レビー・ストロースも民俗学に置いてそのような取り組みを彼に先んじてしていたそうです。もちろん普通では楽譜が読めませんので、見分けられる程度まで大きく紙に書き、電子ピアを学んだそうです。音楽を楽しむというのではなく、彼は音楽というものを学理から理解しようとします。しかし音楽は言語とは違ってかなりあいまいなものだったようです。彼はワインも愛し、リサイタルを開くことを夢見ます。

○本作り
 京都三部作ほかの著書を彼は口述のワープロ原稿越しや、対談集としての発言などで進めてゆきます。それまでに得ていた知識に新たな知識を加えていったのでしょう。失明したのちに大部の著作をあらわした学者は塙保己一ほか何人かいますが、盲人なればこそできる著作というものもあるのかもしれません。
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清澤のコメント:
彼のこの作品はなるべく漢字を避けひらがな表現に努めた跡が見られます。それが視力を失い、ことばで戦わざるを得なくなった彼の思考経路を象徴しているのかもしれません。
さて彼の病気はわたしが最初に疑った急性網膜壊死(ARN)では無かったようです。学生時代から様々な領域に興味を持って成長してきた彼なればこそ、このように人生の白秋期に至って失明を経験しながらこのような実りの多い後半生を送れたのかもしれないと思ったものでした。

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