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2012年12月24日

3909 レ・ミゼラブル上映中です 見てきました

レ・ミゼラブル(レミゼ)‎158分‎‎ – 人間ドラマ‎を12月24日に朝から見てきました。

この作品の舞台は明治維新の直前くらいで、ごく最近の事だと実感されます。この作品で重大な場面をなす暴動の場面はバスチーユを落としたフランス革命ではないようですので、フランスの歴史の中でどの位置にあったのかもついでに調べてみました。

まず、「プリュメ街55番地」というラミゼに詳しいページを見ましたら、(http://blogs.dion.ne.jp/turandot/archives/6612963.html)モンフェルメイユの宿屋に、ジャン・ヴァルジャンが現れ、幼いコゼットを引き取って行ったのが1823年のクリスマスだったのだそうです。水を汲みに行ったコゼットが、森の泉でバルジャンに出会う。宿屋に一緒に戻ったバルジャンがテナルディエに1500フランを払う。バルジャンはコゼットに大きな人形をあげて、真新しい黒い服に着替えさせる。ミュージカルも原作と同じ筋書きですが、その晩がクリスマスだったということは触れられていません。あの場面が今夜と同じクリスマスとは、これはなんという偶然。

この物語を比較的詳しくまとめたページがありました。みい presents 「レ・ミゼラブル あらすじと解説」です。Copyright (C) 1998 mii, Les Miserables Maniax

その初めにいわく:法律と風習とによって、ある社会的処罰が存在し、聖なる運命を世間的因果によって紛叫せしむる間は、即ち、下層階級による男の失墜、飢餓による女の堕落、暗黒による子供の萎縮、それら時代の三つの問題が解決せられない間は、即ち、地上に無知と悲惨とがある間は、本書の毎き性質の書物も無益ではないだろう。1862年1月1日 オートヴィルハウスにおいて ヴィクトル・ユーゴー だそうです。

あらすじの間にこのみいさんがはさんでいるコメントが秀逸です。。《脱獄した徒刑囚で後に公安警察長となったヴィドックという男をユゴーはジャベールのモデルとしているが、ジャン・バルジャンのモデルにもなっていることから、この二人の男はもともと同じものの表裏ともいえる》という面白い指摘があります。

コゼットの婿になる《マリウスは若き日のユゴー自身であり、王党主義的。父ポンメルシー大佐もユゴーの父レオポル・ユゴー将軍をモデルにしている。ユゴー自身も父母の性格の不一致の為に別れて暮らし、王党派の母の死後に父と和解し次第にナポレオン賛美者へと変化していく》とされていました。

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また、マリウスに恋しながらも愛されることのないままマリウスを守って死んでゆくエポニーヌも愛おしく可哀そうな役どころなのですが、《この頃のユゴーの描写にはコゼットへの愛情よりも、エポニーヌのマリウスに対する純情が強調されている。というのも、妻アデールの裏切りにあい、娘レオポルディーヌの面影をコゼットに写しているため、ユゴー自身の立場がマリウスではなくジャン・バルジャンの方に近くなり、マリウスに嫉妬する父親に表れている。一方エポニーヌは自分の多くの愛人の姿の合成人物として描いた為、とても魅力的な女性として書かれた》というのです。

さて最後に、マリウスらが戦ったこの革命とはなんだったのか?もちろんいわゆる1789年7月14日のパリ革命ではありません。この作品中の時代はナポレオン1世没落直後の1815年~ルイ18世・シャルル10世の復古王政時代、七月革命後のルイ・フィリップ王の七月王政時代の最中の1833年までの18年間です。フランスも革命で王政が終わったという単純な歴史ではありません。

1832年6月5日 ナポレオン軍の将軍で共和派の政治家として人望を集めていたラマルク将軍(1770~1832)が亡くなったのをきっかけに、暴動の合い言葉が交わされ、共和派の人々が武装して葬列に加わった。6月5日の葬列はバスティーユ広場を通り過ぎ、オーステルリッツ橋の広場でラファイエットが弔辞を述べていた。赤旗を持った男が群衆の中から現れ竜騎兵と群衆は衝突し、こうして6月5日の暴動が始まった。
《一党派に対する全体の戦いを反乱、全体に対する一党派の戦いを暴動と位置づけ、反乱の後には前進があり、暴動の後には何も残らない、とユゴーは規定している》というもので、パリでは何回か起きている民衆や学生の蜂起の一つですが、歴史上には大きな意味を残したものではありませんでした。

もう一つ別の声明を引用します。「ところで、ユゴーはなぜ、1830年の七月革命ではなく、歴史家にさほど重視されていない1832年の六月暴動を取り上げたのだろうか。もちろん、七月革命よりも六月暴動のほうがフィクションに仕立てやすいという面はある。しかし、それ以上に、六月暴動は下層階級が上からの指示によらずに自らの手で初めて組織した蜂起であるという点がユゴーの心を動かしたのであろう。事実、ラマルク、ラファイエットといった自由派の看板は群衆にとってはあくまで御輿(みこし)に過ぎず、ラファイエットなどはいったん蜂起が起こると権力の保護を求めて逃げだしてしまうのである」
鹿島 茂 著 『「レ・ミゼラブル」百六景』より(366頁)

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