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2012年8月9日

3549 映画『ローマ法王の休日』を見てきました

『ローマの休日』ならぬ『ローマ法王の休日』!?カンヌで好評を博したローマ法王の逃亡劇って?

逃亡しちゃうローマ法王!?-映画『ローマ法王の休日』より
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今日の大学の外来は相方が夏季休暇中という事でお休み。
と言う訳で子供と一緒に夕方に映画を見てきました。

 『ローマ法王の休日』の原題は、「アベムス・パパム / Habemus Papam」。ラテン語で「教皇が決まった」の意味だそうです。本作は、2005年4月8日、サン・ピエトロ広場で行われたヨハネ・パウロ2世の実際の葬儀の映像から始まり、次のローマ法王を決めるコンクラーベに向かう枢機卿たちを映し出し、フィクションの世界へと入り込んでゆきます。オードリー・ヘプバーンとグレゴリー・ペックが共演した往年の名作『ローマの休日』をほうふつさせる邦題です。昨年のカンヌ国際映画祭に正式出品され好評を博した作品ということで、ナンニ・モレッティ監督は、今年のカンヌ国際映画祭の審査委員長だそうです。

 次の法王に決定したミシェル・ピッコリ演じるメルヴィルが、プレッシャーに耐え切れず、ヴァチカンからローマへと逃げ出してしまいます。ヴァチカンを飛び出したメルヴィルは、ローマの街で、セラピスト、デパートの店員、パン職人、ストリートミュージシャン、舞台俳優など、さまざまな人に出会います。

映画『ローマ法王の休日』は7月21日よりTOHOシネマズシャンテ、新宿武蔵野館ほかにて全国順次公開中という事で、今回は新宿武蔵野館に行きました。

 どうも、経過はともかく最後まで何がいいたいのか私には良く解からない映画でした。
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 さてそのローマ教皇に拝謁したという日本人を私は一人だけ知っています。それは東北大学抗酸菌病研究所の放射線科でかつて助教授をしておられた山浦玄嗣先生です。自らケセン語に翻訳した聖書を手に、それを法王に献上するためにバチカンまで行った方です。ネットを探しましたらその先生の記事が出ていました。

ーーー篠崎キリスト教会のページから引用ーーー
みんなの証 : 医師・山浦玄嗣さんの被災の証し 
投稿者 : admin 投稿日時: 2011-05-25 17:02:40 (1914 ヒット)
「あっぱれな被災者を見た 『ケセン語訳新約聖書』著した医師・山浦玄嗣さん」という記事が朝日新聞大阪版2011年05月16日夕刊に掲載されました。大阪版ゆえに読んでいない方も多いでしょうから、ここに掲載します。 

岩手県大船渡市の医師山浦玄嗣(はるつぐ)さん(71)は、新約聖書の四つの福音書を地元・気仙地方の言葉に翻訳した「ケセン語訳新約聖書」の著者としても知られています。地元のカトリック教会に通う山浦さんは、東日本大震災の大津波が襲った三陸の診療室で何を見たのでしょうか。 

3月11日午後2時46分。私が理事長の山浦医院の午後の診察が始まる時間でした。自宅のすぐ隣にある医院に入ると間もなく、大きな横揺れを感じました。揺れはいつまでも収まらず、船酔いみたいに吐き気がしてきたころ、ようやく静まりました。幸い自宅も医院も床上に浸水しただけで済みました。でも、津波でたくさんの友だちが死に、ふるさとは根こそぎ流された。黒い津波が押し寄せるのを見て、イエスが十字架で叫んだ「わたしの神よ、わたしの神よ、なぜわたしをお見捨てになるのか?」を思い出しました。この一節は当時よく知られた詩の冒頭で「あなたに依(よ)り頼んで、裏切られたことはない」と締めくくられます。イエスは力尽きて、最後まで口にできなかったとされています。苦悩のなかで毒づきながら、それでも神への信頼は揺るがない。私も同じです。 

重油と下水と魚の死骸が混じった真っ黒で粘っこい泥をなんとか片づけ、14日の月曜日から医院を開けました。津波の後には寒い日が続きました。患者さんは停電し暗い待合室で、私が用意した毛布にくるまっていました。60人はいたでしょうか。患者さんには薬が必要なのです。不通になった鉄道の線路伝いに、家族のため雪で真っ白になり2時間かけ歩いてきたおじさんがいました。「遠いところ悪いが、5日分しか出せないよ」と言うと、ひとこと「ありがたい」。2時間かけて帰っていきました。もっと欲しいと言った患者さんもいます。でも「薬はこれだけしかない」と諭すと、はっとした顔になり「おれの分を減らして、ほかの人に」と譲りあってくれました。 「ががぁ(妻を)、死なせた」。目を真っ赤にしながらも涙をこらえた人。「助かってよかったなあ」と声をかけると、「おれよりも立派な人がたくさん死んだ。申し訳ない」と頭を下げた人。気をつけて聞いていましたが、だれひとり「なんで、こんな目に遭わないといけねえんだ」と言った人はいません。そんな問いかけは、この人たちには意味がありません。答えなんかないのです。この人たちが罪深いから被災したのでもありません。災難を因果応報ととらえる考えに、イエスは反対しています。 

人はみんな死にます。しかも、死はどれも理不尽なのです。でも、無駄な死はひとつもありません。死には必ず意味があります。診療室の人たちは不遇を嘆くのではなく、多くの死者が出た今回の出来事から何かを聞き取ろうとしていたのかもしれません。必要以上に持ち上げるつもりはありません。しかし、あのつらいなか、意味のない問いかけをすることなく、人のために何ができるか、本当に生き生きとした喜びを感じるには何をすればいいのかと、懸命に生きていました。あっぱれな人たちに、私は出会えたのです。

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