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2012年8月5日

3540 聖徳記念絵画館に行き農民収穫御覧」(森村宜稲画)を見てきました

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午後から子供とその同級生と一緒に聖徳記念絵画館に行ってきました。学校の先生に夏休みの間に行ってごらんと言われたのだそうです。

(明治45年7月30日いまからちょうど10年前、明治天皇は59歳で崩御され、此処青山蓮ペー上で葬儀は行われました。)

聖徳記念絵画館Meiji Memorial Picture Gallery と言うのは『ウィキペディア(Wikipedia)』に依りますと:

神宮外苑の中心的な建物で、幕末から明治時代までの明治天皇の生涯の事績を描いた歴史的・文化的にも貴重な絵画を展示しています。維持管理は宗教法人明治神宮の予算で賄われています。

明治天皇崩御後に建築計画が持ち上がり、1926年(大正15年)に旧青山練兵場の跡地に建設されました。そもそも明治神宮外苑の造営の主たる目的でもある建物です。現在でも、建築当初のままのドーム状の荘厳な建物を見ることが出来ます。

建物の概要 着工:1919年(大正8年)3月5日
竣工:1926年(大正15年)10月22日
鉄筋コンクリート2階建て。面積:延べ4700m²。
高さ:約32メートル(ドームの頂上部)、幅:約112メートル、奥行き:約34メートル。

建物は2011年(平成23年)に重要文化財に指定。絵画館のほか、以下の物件が重要文化財の附(つけたり)として指定されている。
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私が目的にした絵は「農民収穫御覧」です。

明治元年(1868)7月、江戸が「東京」と改められました。9月20日、明治天皇は岩倉具視ら約3千人を従えて東海道を下り、東京へ行幸されます。それに先立ち、8月27日には122代天皇として即位され、元号が「明治」と改まりました。

9月22日(現在の11月3日)、明治時代最初の天長節を迎え、天皇は満16歳になられました。27日には熱田神宮に参拝されます。行幸前には勅使を遣わし、王政復古を奉告し、戦乱続く東北の平定を祈願する宣命(せんみょう)を下賜(かし)されていました。

聖徳記念絵画館壁画「農民収穫御覧」の絵は、神宮近くの八丁畷(はっちょうなわて)で初めて稲刈りを御覧になられた時の様子です。農業をわが国の大本(おおもと)と思(おぼ)し召される天皇は、農民達の苦労を労うため饅頭を分かち与えられました。

鳳輦(ほうれん)の右で平伏しているのは、名古屋藩主の徳川慶勝父子です。徳川の世が終わり、天皇を中心とする国家体制へと移り変わったことが窺えます。

聖徳記念絵画館壁画「農民収穫御覧」(森村宜稲画)
明治元年9月27日(1868年11月11日)尾張国熱田八丁畷(愛知)
(鳳輦の前で稲を捧げているのが岩倉具視、その右が徳川慶勝父子)

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この絵は今では殆ど名も知られてはいないですが蜷川桂舟という画家が、上の絵の意匠での絵を注文されて写したというものです(解説の出典)。「この屏風は或る画家に依頼して書いて貰った
ものだと言う。その人は明治天皇をいたく尊崇し、神宮外苑の明治記念館の絵を参考した絵を、その無名の画家に依頼して一年余の月日を経て完成させたと言う。その画家も生涯これ以上の絵は描けないと漏らしたそうである。」下の絵は彼の考えた構図で有って、絵画館の絵には元絵は有りませんでした。

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