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2012年7月14日

3475 医者はなぜお互いを「先生」と呼ぶのか?:との記事を見ました。

医者はなぜお互いを「先生」と呼ぶのか?という記事が、日経メディカルブログ:尾藤誠司の「ヒポクラテスによろしく」2012. 7. 12に出ていました。

「同業者を「先生」と呼ぶときは、その言葉に自分がどのような敬意と、学ぶ姿勢をこめているのかについて、常に意識したい」という結語には学びたいと思います。

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尾藤誠司氏(東京医療センター臨床研修科医長)は「もはやヒポクラテスではいられない 21世紀 新医師宣言プロジェクト」の中心メンバーとのこと。

ブログの紹介
「医師がお互いを『先生』と呼ぶことに対する違和感」についてです。

 私が学生時代、臨床実習が始まってすぐの時、大学病院で私たちの班についてくれた医師が私たち医学生に「で、先生はどう思うの?」とたずねた。ひょっとして、もう医師免許を持っていると勘違いしているのだろうか?::
(この少し嬉し恥かしの違和感は私も30年以上昔の学生時代に感じたのを良く覚えています。)

どうやら、医師の文化では同業者らしき他人のことをだれでも「先生」と呼ぶらしい。ーー再び「先生」である自分や、同僚を「先生」と呼ぶ自分になんだか気持ち悪さを感じるようになってきた。簡単に言うと、“相手をバカにしているような感じ”を覚える。ーーー

「先生」と呼び合う職種に共通すること
『先生』と呼ばれても、いい気になってはいけないよということ。教師をはじめ、医師・弁護士など、普通『先生』と呼ばれる人以外に使う『先生』には必ずしも敬意が含まれていないことから言う 」という意味のようです。

 お互いを「先生」と呼び合う職種には、政治家、医師、教師などがあります。「先生」とは、「先生」と呼ぶ側から見た場合、ある点において「えらい」人たちを指すと私は思うのですが、お互いを「先生」と呼び合っている人たちは、その「ある点において」という枕詞が抜け落ち、自分たちのことを「全体としてえらい人たち」と勘違いし続けている人が多い気がするのです。「お互いに突っ込めない」「突っ込まれない」存在であろうとし過ぎていると思います。

 おそらく、自分のクライアントである国民、生徒、そして患者に対して、歴史的にゆるぎない「権威勾配」を維持する必要がこれらの職種にはあったのでしょう。クライアントを常に正しい方向に導いていくため、常に正しい存在である必要、そして突っ込まれることを許容しない存在である必要がこの職種にはあった。その権威勾配を維持するため、自らも自分たちを「先生」と呼び合ったのだと私は考えています。

ーーー医師のように、個人個人で並列関係の専門性が独立して存在しているような職種では、お互いを「先生」と呼ぶことが、侵してはならない“領海侵犯の範囲”を確かめ合う行為につながっているようにも、私には感じられます。ーー

ーー免許を持った専門職である医療者が、専門家でない人達(例えば患者さん)から「先生」と呼ばれる場合には、医療者自身がよい「先生」であることを常に意識する必要があると私は考えます。患者さんに対してよい「先生」でありたいし、そこに誇りを持って仕事をしたいです。そして、同業者を「先生」と呼ぶときは、その言葉に自分がどのような敬意と、学ぶ姿勢をこめているのかについて、常に意識したいと考えています。ーーーー

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清澤のコメント:
街中で、どこかの医師が別の医師を「●○先生」と呼ぶのを他人が聞くと鼻もちならぬ嫌な感じと思うかもしれません。

歴史的にゆるぎない「権威勾配」を維持する必要がこれらの職種にはあったのでしょう、というのも了解。しかし、その権威も今はかなり弱まっていますよね。

医師は、お互いに病院長に付く並列なスタッフ関係であって、看護士の様なライン関係ではないので、「ある医師が、他の医師の診療内容処方を強引に変えさせることはできない。」というのは病院管理学でその昔習ったお話の通りです。

同業者を「先生」と呼ぶときは、その言葉に自分がどのような敬意と、学ぶ姿勢をこめているのかについて、常に意識したい」という結語には学びたいと思います。

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